ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

ウソをつかずにお世辞を言う方法をコスプレ趣味から学んだ話

エイプリルフールの今日。
多くの企業が、自社サイトやTwitterアカウントなどで「ウソ企画」を次々と発表しています。

そんなエイプリルフール。
どんなに真面目に、真剣に記事を書いたところで「ウソかも」と疑われることは避けられません。
何を書いても信じてもらえないこの感じ、すごく嫌なんです。
この記事であれば「実はエイプリルフール大好きです!」みたいなウソついてると思われているかもしれません。
ほんとに好きじゃないんですよ!!

まったく好きになれなかった「ウソ」に関わるゲームがあります。

人狼 ~嘘つきは誰だ?~カードバトル

人狼 ~嘘つきは誰だ?~カードバトル

 

これ。人狼
大学でものすご~~く流行っていたんですけど、このゲームが本当に苦手でした。
何度かプレイしてみたんですけど不快感しか得られなかったんですよね…。
何を言っても信じてもらえない感じが本当に無理でした。つらくて。
ゲーム中の空気感に堪え切れずにトイレへ駆け込み、激しく嘔吐。
よくここまでしぶとく生きてきたよな~と感心しちゃうレベルで繊細なメンタル持ちなのです。

私以外のプレイヤーはすごく楽しんでいる様子だったので、妙に印象に残っています。
私が頭おかしいだけだとは思うんですけど、よくあんなに疑われても平気でいられるな…と。
ゲームと現実とを混同させてしまっていることに原因があると理解していながらも、どうしても「自分は疑われている!」と思い込んでしまうんですよね。
ですから人狼を楽しんでいる人のことは純粋に「すごいな!」と思います。

ウソをついていると疑われることをこれほど嫌悪する私。
つまり、ウソをつくこともかなり嫌っており、苦手としています。
人並みにお世辞は言いますよ。ただそれがウソにならないように気を付けているのです。
次はそんな話をすることにします。

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高校時代によくコスプレイベントに参加していました。
コスプレイヤー(レイヤー)界隈では異様なまでに相手を「褒める」ということが盛んに行われていました。
飛び交っていたのはお世辞としては過剰に思えるレベルの「褒め」。
「かわい~い!」では終わりません。「かわい~い!お嫁さんにしちゃいたい!」ぐらいの「褒め」はふつうです。
相手の見目がお世辞にもよろしいとは言えない場合でも皆さまこのレベルで褒めあっていました。
しみじみと思い返してみたところで、あれは「ウソ」で言っていた人の方が多かっただろうと想像できるのです。
そんな中、あまりに過剰な「褒め」をすることに抵抗を感じた私は、ある方法でこの状況を切り抜けてきました。
それが「具体的に褒める」という方法。
「写真の構図が素敵だと思います!背景ともうまくマッチしているし…」
「小道具が細部まで丁寧に作りこまれていてすごいですね!真似できないなあ…」
といった具合です。ウソはつきません。
本当にいいと思ったところ、すごいと思ったところを見つけて具体的に褒めます。
自分の手ごたえとしては、こうした対応をしたほうが相手に喜んでいただけたように思います。

こうした経験から、今も「ウソにならないお世辞」を心がけています。
ウソをつかなくていい。これは私にとってすごく心地がいいことなんです。
ぜひ実践してみてください。「具体的に褒める」。これ、すごくいいですよ!

 

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LGBTを「支援」するという言葉のために誤解が生じているという可能性

杉田水脈(みお)議員の「LGBT支援は不必要」という訴えが話題になっています。

注目されているのは杉田議員のこちらの記事。

  1. 生産性のあるものと無いものとを同列に扱うことはできない。
  2. 「女性の権利あるいはLGBTの権利を認めよ」という主張は「女性の特権あるいはLGBTの特権を認めよ」という主張である。日本では基本的人権が性別・年齢問わず保障されているのでこうした特権を女性やLGBTに認めるべきではない。
  3. 山積する課題がある中、優先して取り組むほど重要な課題であるとは考えられない。他に優先してやるべき事業がある。

という3つの理由から、「LGBT」に対する支援策は不要という主張をされています。
杉田議員はもともと男女共同参画社会及び男女共同参画社会基本法女性差別撤廃条約に反対を表明している立場ですから、この方がこうした主張をすることそのものについては特に驚くべき事態というわけではないと思います。

なんといっても

男性に向かって「子供を産みなさい。」と言っても無理です。この事実がある以上、いくら男女を平等に扱おうとしてもそこに物理的に無理なことがたくさん存在します。これは差別ではなく区別です。(上記事より引用)

こういう考えをお持ちの方なのでですね…。
今からおよそ一ヶ月半ほど前に、曽野綾子さんが産経新聞に寄稿した「ひどすぎる」コラムが問題視されました。
このコラムでも「差別ではなく区別」といった言葉が用いられていました。
これは差別を正当化しようとするときに高頻度で用いられる言葉です。
たとえば「それは差別だ」と指摘されたときに「いいえ、これは正当な区別です」というように用いられます。
杉田議員は男女共同参画社会基本法女性差別撤廃条約に明確に反対の意を示している、言い換えればはっきりと「女性差別」を肯定している立場です。
なので「女性特権を認めるな!」はこの方の主張としては驚くべきことではありません。
その主張を認めるかどうかというのはまた別の話ですよ。私は絶対に認めないけど。

今回は「LGBT」いわゆる「セクシュアル・マイノリティ」への支援策が主な焦点です。
これについて私はまず「支援策」という言葉を用いていること自体に違和感を覚えています。
「支援策」という言葉を用いているがために、水掛け論に発展してしまうのではないかな?と感じるためです。
その理由はごく単純です。
もともと権利が平等に認められていない立場の人たちを「平等」というところまで引き上げる
これって「支援」なのでしょうか。私としてはちょっと違うと思うのです。

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絵がへたくそで大変申し訳ないんですけど、図にすればだいたいこういうことですよね。
穴に落ちている人を助ける場面を想像してみてください。
穴に落ちている人を「支援」するって言わなくないですか?
穴に落ちている人を「救助」するって言いませんか?
「支援」という言葉が使われることで受ける印象が変わってしまっているんじゃないかな~と思うのです。

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もし平等な状態で右側の人だけを「支援」するとこんな風になっちゃいますよね。
たぶんこっちのイメージに近いものを抱いているのではないかな~と想像するわけです。
杉田議員の主張は「基本的人権が保障されている以上、女性特権・LGBT特権は認められるべきではない」というものです。
これはたぶん私が描いたイメージ図の2つ目の方に近い考えだと思われます。

実際のところはLGBTはマジョリティが当たり前のように享受している権利の一部を剥奪された状態であり、穴に落ちている状態の方が近いと考えられます。
なので反論として「特権は認められない!」は違うと思うんですよね。

それからLGBTに関わる問題が取り上げられた時に必ずと言っていいほど言及する人がいる「生産性」。
この言葉を見聞きするたびに心底腹が立ちます。
セクシュアル・マイノリティに対してはもちろん、マジョリティとしての異性愛者に対しても差別的です。
そもそも子育てに対して「生産」という字をあてることを私は不愉快に感じるのですけどね。
人によって異なるライフスタイルが確立されつつある以上、ケースバイケースで柔軟に対応する必要はあると思います。
子育てをするという選択をした人に対して「あんたが産むって言ったんだから。自己責任」などと言って負担を強いることがあってはならないと思いますし、子育てをしないという選択をした人に対して「生産性がないので同列には扱わない」と言って差別をすることもあってはならないと思います。

多様な生き方があることを認め、その上で援助が必要となる人たちを支える仕組みを成立させる必要があります。

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今回はLGBTに関わる問題について「穴に落ちている人」を助けるイメージ図を使って説明しました。
「穴に落ちている人」のイメージ図を使ったのにはわけがあります。
それはこうした問題を考えるときに「穴に落ちている人」だけが「穴から出ようとする」のでは絶対に穴を抜けられないと考えているからです。
穴に落ちている人を助けるために、穴の中に救助用のロープを端から端まですべて放り込むことがあるでしょうか。
救助用のロープの一端は地上に出ている必要がありますよね。じゃないと這い上がれない。
じゃあロープの一端はどうするの?という話です。
地上にいる人がロープの一端を地上のどこかに固定したり、持っていなければいけませんよね?
私はこの「地上にいる人」の役割の大きさについて考えることがしばしばあります。
「マイノリティだから助けろ!」と言っているわけではありません。
ただ相互にロープの端を握らなければ穴からは出られないということ。
つまりどういうことか。積極的に歩み寄ることの必要性を訴えている、ということなのです。

おそらく、「まあ助かるんじゃない?」と思って穴の周りを覗き込んでいるだけの方がいちばん多いのではないかな?と想像しています。
そういう人たちが「ちょっとロープを引っ張ろうかな」という気持ちを抱けるようになればだいぶ状況は好転すると考えているんですよね。

というわけで「支援」という言い方によって誤解が生じている可能性について書きました。
このことについては自分自身がバイ・セクシュアリティというマイノリティ側の立場であるため、冷静に書ききれていないところがあるように思います。
もし万が一不備や偏りが見受けられるようであれば、随時ご指摘いただければ幸いです。

 

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私はミニマリストにはなれないな~という雑感。

はてなブログ」でいろんな方のブログを読んでいるとよく目にする言葉があります。
ミニマリスト」「シンプルライフ」――いわゆる、「持たない主義」。

昨日この記事↓を書いた後にしみじみ思ったんですけど

私にはそういう考え方、間違いなく合ってなさそうです。
いや、別に自分でやろうとは考えていないんですけどね。ここまで真逆なのか、と。

そろそろ100記事を超えようとしている我がブログ。
このタイミングでこれまでの記事を整理したのちプリントアウトし、再編集をする予定でいました。
一度立ち止まって考えてみる。そういう人間の書く記事って参考になるのか??

私はとにかく「紙で持っていたい」のです。
というか新しいアイディアを書き足したりするのはどうしても手書きがいいタチなので…。

 

と、このあとに2000字ぐらいの文章を書いていたんですがパソコンの誤作動でぜんぶぶっ飛んでしまいました。
ここまではバックアップがとれていたんですよ…ほんとに悲しい…。
再度同じ文章を書こう!と思いましたが、どうにもやる気が完全に消え失せてしまいました。

内容は下記のとおりです。
この内容を、もっと感情的に書き表した文章がつらつらと続くはずでした。

ミニマリスト」の方で、書籍を減らすための工夫に「図書館利用」を挙げる方は多い。
私も利用はしているものの、基本的には自分で学びのために収集した書籍や論文は「三色ボールペン」を使ってびっしりと書き込みを入れながら読むことがほとんど。
「書籍を売る」ということを想定していない読み方を続けるのは「いつでも引っ張り出せるように」しておきたいから。
頭が悪いので読んだ本の詳細をいちいち覚えていられないのです。
多くの方は「死蔵するくらいなら…」という思いで本を古本屋に出すと思うのですが、そもそも死蔵にするというつもりがないので外に出すこともないということです。
そのため私の自室は常に書籍類・紙類で満ち満ちており、人によっては地獄のように思える環境*1となっています。
三色ボールペンでの書き込みの方法は、斎藤孝さんのメソッドを採用しています。
赤は「客観的にみて最重要と思われる箇所」
青は「客観的にみてまあ重要と思われる箇所」
緑は「自分自身がおもしろいと感じたり、興味を持った箇所」
にチェックを入れるのに使う、という方法です。
斎藤さんは「黒は使うな」と自著でも強調されているのですが、私はこれに加えて黒のペンや万年筆で読書記録やノートを作成しています。
そしてこのノートからさらに必要なデータやアイディアをパソコンに入力、プリントアウトしてファイリングします。
何か疑問点があった時はパソコンで作成した書類からノート・書籍をすぐに探せるようにしています。
自分のノートや書籍に自家製QRコードをつけているのはそのため。
このあたりの事情をまた詳しくお伝えしていければなと考えています。

 

こんなことをものすごく感情的に書いていたんですよ。
入力していたデータが吹き飛んだショックですごく冷静になってしまいまして、同じものを書こうにも書けませんでした。

三色ボールペン情報活用術 (角川oneテーマ21 (B-43))

三色ボールペン情報活用術 (角川oneテーマ21 (B-43))

 

三色ボールペンの使い方については私がさっきさらっと書いちゃった通りで、さらにいうとこの本はざっくりとそういうことしか書いてないのですが一応ソースはこれですよ、ということで。

今回は記事が一度消失したためにやる気の伝わらない内容になってしまいました。
ですが「書籍やノートの管理」についてはすごくいろいろと思うところがあります。
データの消失によく注意して、また少し別の視点から再執筆したいと思っています!

*1:紙類が家じゅうにみっしりと詰まっている状態

これからもデータは紙で管理したい!文系大学生、模索する。

ありとあらゆる情報が電子化されてきた昨今において、わざわざアナクロな方法でそれらを管理したいと考えている残念な思考の持ち主、それが私です。

  • 電子書籍の購入経験ゼロ。
  • PDF形式でインターネット上に公開されている論文データを印刷して管理。
  • メモは(ノートや手帳に)手書きで記録。

こんな感じです。
ちょっとと言わず、遅れている印象を受ける方が多いのではないかな?と想像します。

なんでこんなやり方に傾倒しているのか。
それは私が「紙媒体が好き」というか「紙が好き」だからです。
紙で読み、紙に書くことが好きなので紙から離れられないんですね。
もちろん、それ以外にもメリットを感じるところはありますが基本はこれが理由です。

さて、ここでちょっと思い出話をしてみようと思います。

紙の肌触りとにおいに、物心ついたころから安心感を覚えてきました。
こどもの頃は「おりがみ」の収集に没頭。
折るのではなく、とにかく様々な種類の「おりがみ」を集めて触ったり眺めたり。

これはちょうど、空前のポケモンブームが起こっている時代でした。

視力の低下を懸念した私の両親は、こどもに携帯型ゲームを買い与えることをしませんでした。
つまり、あのブームの渦中にあって「ゲームボーイ」を持っていなかったのです。
でも幼稚園のみんな「ポケモン」をよく知っていて、周りの言っていることの意味がわからなくなってきました。

そこで私の父親が「ポケモンを暗記する」ことを目的とした「ポケモンずかんカード」を自作してくれたのです。
私は1993年生まれ、ポケモンは1996年に出てブームになっていたというこの時代。
私の家ではこの時点ですでに「Windows95」が導入されており、父親はこれを使ってカードを作ったというわけ。
思い返せば家庭内へのパソコン導入がずいぶんと早かった家だと思います。
ゲームの攻略本の「ポケモンずかんデータ」を父親自らが電子化し、それをカードの形に編集しなおした自作カード。
肌触りがよく、いいにおいのするはがき大の厚紙には、151匹のデータ以上のものがたくさん詰まっていました。
そんなわけで、電子化されたデータの貼りついた「いい紙」に対しても人一倍の思い入れがあります。

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さて、思い出話はここまでということにしまして。

大学生活も4年目に入ろうとしていますが、基本的に私は学びのデータをこのように管理してきました。

  1. 講義を受けながらノートを作成
  2. ノートの内容をパソコンを活用して整理しなおす(情報の取捨選択もここで行う)
  3. 完成したデータを印刷してファイリング

こんな感じです。
ファイリングしたデータから元のノートをたどれるように工夫して管理しています。

というのも、実に個人的な感覚にすぎないのですが

  • ある情報に対して、別の情報を書き足す
  • ちょっとしたどうでもいいような情報を残す

ことについては手書きの方がより向いているように感じ、

  • 理路整然と情報を羅列する
  • ひとまとまりの文章としてまとめる

ことについてはパソコンによる文字入力の方がより向いているように感じるのです。

こういう感覚についてはなんとなくでも「わかるかも」と思っていただける方がいるのではないかな?と期待します。
ではなぜ私はそこからさらに、パソコンに入力した電子データを紙に出力して管理しようとするのか。

第一の理由はこれまで挙げてきたとおり、「紙が好き」だからです。
そして第二の理由、これもすごくどうでもいいように思える理由です。

どうでもよさそうなことを書き足すときに都合がいいから」。

なので紙に出力したデータに対して「どうでもよさそうなこと」を手書きで足し、必要に応じてそれを再び電子データに変換するというおそろしいほど容量の悪い手順を踏むことがたびたびあります。

つまり、さきほど挙げた1、2、3の手順を何度も繰り返していくんですね。
その過程で「最初の手書きノート」までいつでもさかのぼれるようにしておくこと、これだけを守ってあとは自分の感覚任せで管理してきました。

このやり方、さすがにちょっと効率が悪い気はするんですが一応メリットはあるんですよね。

ひとつは「手書きで入力した情報については記憶しやすい」。
これは単に私の特徴だと思います。手書きで書いたことはだいたい覚えているんですね。
そしてもうひとつの理由が「何度も情報の加筆修正を行うことで内容がよりよくなる」ということ。

なので今後もデータの大半を紙を活用して管理していこう!と思っています。
やり方についてはいろいろと改善できそうな点がありそうな気はしますが。

なお、ブログの文章はというと、頭で考えたことをいきなりパソコンによる文字入力でアウトプットしています。
そのため大学の講義ノートを作成する手順と同様に、一度紙に書いたものをパソコン入力(電子化)するようにすると、内容の質が若干向上するのではないか?と考えられます。
しかしながらそれだけの時間をブログ更新にあてられないというのが現状…。
やはり効率の良い方法を考えた方がいいのかもしれません。

 

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「みんなと同じ」ができない、そしてやろうとしていないのでお説教された話

↓こんな記事を書くような人間なので、大学の就職支援室から要注意人物としてマークされています。

先日、福岡に帰省する前に大学の就職支援室から呼びつけられまして、いろいろと注意を受けました。
そのとき「少なくともこの人とは話し合ったところで何も生み出されないな」ということがよく理解できたので、今後は呼びつけられても丁重にお断りしていくスタイルでいこうと思います。

というわけで、今回はそこでどういう注意を受けたのかお話することにします。

就職支援室の担当者(以下:)「マ○ナビ主催の就活セミナーに出席されていないようですが」
「私が自分で進めている就活の参考にはならないと判断したために参加はしていません」
「就活セミナーのどこが参考にならないと思うのですか?」
「何十社も企業を受けて…というタイプの就活をやりたくないんです。しっかりと数社ずつ受けてみようかな~と考えているので、たくさん受けるときの方法はあまり参考にならないと感じたんですけど…」
「というと?」
「たとえばESを100社に出して50社くらい落ちるというやり方ではなくて、同じ半分落ちるのでも6社受けて3社落ちるぐらいのペースで受けていこうかなと考えていたんですけど…」
「働く気あるの?」
「ありますけど」
「ないよね?働く気ないよね?なんで嘘つくの?みんなちゃんとやってるのに!なんで同じことができない?」

そのあと一悶着ありましたがだいたいこんな感じで話が進んでいきました。
就職支援室の方も仕事で言ってることなのでそんなに怒ってはいないんですけどね。
少なくともお互いの話をお互いに聞こうとしていない限り話し合ったところで無駄だな~と。

ここまで読んで「お前が悪いじゃん」と感じた方、おそらくあなたの方が世間的には正しい。

私が「みんなと同じ」になりさえすればこういうこと言われないで済むわけですし。
あえて異端児であることに対するメリットはそう大きくありませんし(むしろデメリットが多い気さえする)。

ただ私の両親は私が「みんなと同じ」ができないことについて、これまで一切問題視してきませんでした。
みんなと同じことができないなりに成長してきたのは確か。いまさらそんなものになる必要はない
両親の教育方針はこんな感じです。
だからこそこの状態のまま大きくなれたわけでもありますが。

「みんなと同じ」をあえて選択しない、という選択肢を一方的に否定されることについては抵抗を覚えます。
失敗したとき、その責任は自分で背負うという覚悟はちゃんとしています。
親切にお説教していただく機会もありました。ゲームだったらバッドエンドへのフラグを立てた段階なのでしょう。

世間的にみて、私の考えと見立ては甘っちょろいにもほどがあるレベルでしょう。
ただ、最初からどう考えても私には合っていないやり方で玉砕を何度も経験することはしたくなかったんです。
まず一度自分が納得できるやり方を試して、それで失敗したときに自分で責任をとって次へ進む…そういう手順を踏みたいと考えました。

就職支援室の人に対してきちんとこのように説明できればよかったんですけど、そのときはとっさにうまく言えなかったんですよね…。
説明したところで「事情はわかったけどみんなと一緒にがんばろうね」って声掛けをされるような気がしなくもありませんが言ってみないことにはそれもわかりませんしね…たぶんそう言われるんだろうと思いますけど…

はてな村民的にはこれも「プリントアウトして病院」案件なのでしょうか??
「異端児」というほどのことではない(むしろ普遍的な)悩みだと思うんですけど…

就職支援室の担当者レベルの他人からは「ちゃんとみんなと同じことやってみようね!がんばろう!」みたいに言われがちで、親や教授などある程度日頃の様子も知っているレベルの他人からは「君はふつうじゃないぞ!みんなとは違うけどがんばろう!」みたいに言われがちなんです。どういうこと。

自分の変人レベルがよくわかりません。
悩んでる内容とかは普遍的だと思うんだけどな~~。

 

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メガネを外すと…?メガネをかけている男女キャラクターの比較

テレビアニメ『艦隊これくしょん』の最終話での演出が「ひどい」と話題になっています。
問題になったのは金剛型戦艦の霧島が戦闘中にかけていたメガネを外してしまう場面。
原作のオンラインゲームでは22時の時報ボイスで「メガネを取ったら私、戦えませんっ!」と発言しています。
原作の設定のみならず、ファンの二次創作ネタまで取り入れた演出も行われていた経緯から、これまでも何度か演出に対する賛否をめぐる騒動が起こっていました。
最終話では原作の設定に反する演出を加えてしまった(しかもメガネを外したところでこれといって何も起こらなかった)とあって、大きな騒ぎとなっているようです。

フィクション作品でメガネをかけているキャラクターが「メガネを外す」。
こういう場面はしばしば、キャラクターの内面や今後の生活の変化を暗喩していることがあります。
最近の作品ではテレビアニメ『ラブライブ』で小泉花陽(こいずみはなよ:通称かよちん)の例があります。
彼女はスクールアイドルとして活動を始めるときにメガネからコンタクトに変えています。
怖がりで泣き虫なかよちん。そんな彼女がスクールアイドルとして前へ踏み出す。
「メガネを外す」設定は、彼女の内面や今後の生活が「変わる」ことを強く印象付ける効果を与えていると考えられます。

もう少しさかのぼれば、ライトノベル涼宮ハルヒの憂鬱』の長門有希もこれに該当する気がします。
彼女は主人公であるキョンから「メガネがない方がかわいい」と言われて以降はメガネをかけていません。

前置きが長くなりましたが、今回はそんな「メガネを外す」「メガネをかける」男女がテーマです。

メガネをかける男女には、イメージの違いがあるように思います。

1988年から毎年発表されている「日本メガネベストドレッサー賞」。
現在(2015年3月末)の総理大臣である安倍晋三の父である安倍晋太郎が政財界部門での初代受賞者です。

日本メガネベストドレッサー賞 - Wikipedia

Wikipediaの日本メガネドレッサー賞の受賞者一覧を見ると、受賞者の多くが男性であることがわかります。
しかし「今後メガネをかけてほしい人」に対し贈られる特別賞の受賞者は女性の割合の方が圧倒的に高くなります。

当然、「メガネをかけている」女性がいわゆる「表舞台」にあまりいない可能性を考えることはできます。
ただこれは「メガネをかける」男女に対するイメージの違いを表しているとも考えられるのではないか?私はそう思うのです。

 

◆メガネを外すとカワイイor美人になる女性キャラクター

女性キャラクターで「メガネを外すと実はカワイイ」「メガネを外すと実は美人」という設定が付与されているキャラクターは探せばたくさん出てきます。

代表的なキャラクターは『ドラえもん』に登場するのび太の母・野比玉子でしょう。

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これぐらい変わります。

私はあまり少女漫画に詳しくないので言及を避けますが、おそらく探せば「メガネを外した女の子が実は美人だった」タイプの話をいくつか見つけられるのではないかな?と思います。

「メガネを外す」ことで容姿が(いい方向に)変わる、というのは女性キャラクターの方が多いように感じます。
というのも男性の例があまり出てこないんですよね。いたら教えてください。

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◆「メガネを外す」とキャラが変わる男性キャラクター メガネそのもののキャラクター性

一方で男性キャラクターの場合はどうでしょう。
男性キャラクターの場合は「メガネをかけている」ということでキャラクター性を与えられているパターンが多いように感じます。

銀魂』の志村新八は他の登場人物たちから散々「メガネが本体」として扱われているキャラクターです。
メガネだけが「志村新八」として認識される場面があるなど、メガネそのものにキャラクター性をのせるといういじられ方が非常に印象的です。

成人向けボーイズラブゲーム『鬼畜眼鏡』の主人公である佐伯克哉は着脱により性格が変わるメガネを保有しています。
ゲームタイトル通り「メガネをかける」と鬼畜になってしまうという…。

鬼畜眼鏡 通常版

鬼畜眼鏡 通常版

 

▲メガネの着脱でここまで変わってしまいます。

また、女性向け恋愛シュミレーションゲーム『うたの☆プリンスさまっ♪』の登場キャラクターである四ノ宮那月はメガネを外すと砂月という別人格と入れ替わってしまいます。
鬼畜眼鏡の逆パターンですね。メガネが外れたときにキツい性格になってしまうという…。

この2作品に共通するのは「過去のトラウマ」がメガネの着脱での別人格を生んでいること。非常に興味深いです。

またこの他の例では「メガネをかけている」万能キャラクターの存在が挙げられます。
私の好きな漫画で挙げるなら

斉木楠雄のΨ難 1 (ジャンプコミックス)

斉木楠雄のΨ難 1 (ジャンプコミックス)

 

▲超能力者であるため基本的にできないことがほぼないチート属性の主人公・斉木楠雄

坂本ですが? 1 (ビームコミックス)

坂本ですが? 1 (ビームコミックス)

 

▲イケメン・カリスマ・エリートで「完全無欠の生活」を送る主人公・坂本

などがいます。

 

「メガネをかけている」キャラクターの描かれ方は男性・女性の場合で少しだけ差があるように思われます。
個人的に気になったのが女性キャラクターでは変化の方向は一方向に決まっているように考えられること。

  • 地味 ⇒メガネを外す⇒ カワイイor美人 例)野比玉子、カーリー渚etc.
  • 後ろ向きであったり、弱気な性格 ⇒メガネを外す⇒ 前向きになる、強くなる 例)小泉花陽暁美ほむらetc.

というように、メガネを外したあとのほうが前向きなイメージが強いのが特徴です。
これは日本メガネドレッサー賞で女性に対し特別賞が贈られていることが多いことと関係があるようにも思われるのです。
メガネを外すことに対して明るいイメージが付与されていることで、メガネをかけることには逆のイメージが付きまといます。
それを払拭しよう!という目的もあるのではないでしょうか?

今回の記事で私が紹介したのはいわゆる「ステレオタイプ」的な描写であると思われます。
ですから私が無知であるだけで、このパターンにはまらないキャラクターも数多く存在していると考えられます。
もし「男性あるいは女性キャラクターでもこういう例が他にあるよ」といった心当たりのある方は、気軽にコメントいただければと思います。

 

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「格安航空会社」への疑問~基準ってあるの?価格は?事故が起こりやすい?~

今月24日にドイツの航空会社ジャーマンウイングスの飛行機が墜落する事故がありました。
この事故のニュースでは繰り返し「格安航空会社」である点が紹介されます。

実家に帰省しているので、このニュースに関して家族とあれこれ意見を交わしています。
というのも、「格安航空会社」という紹介が繰り返されていることに何かもやもやとしてしまうのです。
昨夜はこんな話をしていました。

父「価格帯を安く設定した会社だから事故を起こした、というように聞こえなくもない」
母「安い価格で利用したいという人がいるのも当然。でもわざわざそういう情報を出す必要はないはず」
私「低価格のサービス利用者に責任の一端を背負わせる可能性もあるかも」
弟(高校の部活の合宿中に脊髄震盪を起こしドクターヘリで搬送*1されて一泊入院中だった)

それぞれの意見はこんな感じ。
(なお、弟は本日無事に退院しました。)

というわけで、今回の記事では「格安航空会社」への疑問について取り上げることにします。

 

◆そもそも「格安航空会社」って?

「格安航空会社」の「格安」の基準の有無は調べてもよくわかりませんでした。
そのため、低価格でのサービスを提供する航空会社が自称するものと思われます。

日本の航空会社だと下記の四社が「格安航空会社」に該当するようです(2015年3月末現在)。

(なお、2015年夏にエアアジア・ジャパンの再参入が予定されています。)

 

◆「格安航空会社」の価格はどのくらい?

自分が乗る可能性もある福岡―東京間の片道最安値を調べてみました。

<<福岡―東京 間(2015年3月末現在)>>

日本航空JAL)の「ウルトラ先得」を利用しての福岡―東京間の片道最安値が10800円、全日空ANA)の「旅割75」を利用しての福岡―東京間の片道最安値が10300円であることを踏まえると確かに安いです。

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◆「格安航空会社」低価格サービス実現の秘密は?

低価格サービスを提供するにはコストを削減する必要があります。
多くの「格安航空会社」は以下のような手法を採用し、コストを削減しているようです。

  • 運航コストの軽減。例)運航機種を一機種程度に統一
  • 人件費の削減。例)乗務員訓練の有償化、制服の有償配布
  • 機内サービスの簡略化。例)機内食や飲料の有料販売
  • 航空券販売コストの削減。例)乗客自身による直接予約(旅行代理店を利用しない)

 

◆「格安航空会社」だから事故が起こる??

「格安航空会社」だから事故が起こる、ということはあるのでしょうか?
2010年以降の「格安航空会社」の飛行機事故に限るって調べると、3件の事故があったことがわかりました。

2010年
エア・インディア・エクスプレス(インド)812便墜落事故
(原因:機長が不安定なアプローチと着陸を継続)

エアブルー(パキスタン)202便墜落事故
(原因:悪天候で着陸やり直しを試み、失敗)

2014年
インドネシアエアアジアインドネシア)8501便墜落事故(原因:悪天候下でジャワ海に墜落

コスト削減のために定期点検を怠っていた(あるいはずさんだった)可能性などを指摘する人もいますが、この3件だけをみると「格安航空会社」として運営しているがゆえの事故とは断定できない印象を受けました。

また、今回の事故では意図的な操作によるものだったのでは?という可能性も指摘されています。

 

「格安航空会社」である基準は調べたところではっきりしませんでした。
そのため、この情報を繰り返し報じなければならない理由はないのではないかと考えます。
かといって「『格安航空会社』と繰り返し報じるのはおかしい!」と抗議するほどの反感を抱いているわけでもありません。

事故の詳細がわからないうちは、さまざまな憶測が飛び交います。
その状況下でなるべく正確にものごとを判断するためには、情報をきちんと精査することが重要です。
「なぜ」「どうして」と考えるとき、ある一つの情報が多くの可能性を見えなくすることのないようにする必要はあると思います
今回の場合だと、「『格安航空会社』だから事故が起きたんだ!」とすぐに決めつけない、とか。

 ▲昨朝のニュース番組に出演していた航空評論家青木謙知さんの著書が出るようです。母親が「この人の似顔絵なら絵のへたくそな私でも描けちゃうぞ!」とはしゃぎながら似顔絵を描いていました。この本買おうかなあ。

というわけで今回は「格安航空会社」の疑問に関する記事をお届けしました。
調べてみて本当に安いことがよくわかったので、いつか利用することがあるかもしれません(笑)。

 

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*1:弟は今回で二度目のドクターヘリ搬送。昨年夏に脊髄損傷のため搬送された。後遺症が残らなかったのが不幸中の幸い。