ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

読みました。『母性社会日本の病理』河合隼雄

 5日前に「本を読むまえに『予想』を立てておく習慣の話」というテーマで記事を書きました。
これです↓

読みました。

母性社会日本の病理 (講談社 α文庫)

思うにこの本は「日本の社会は人をすべからく平等に扱おうとする性質がある」とか
「人とつながろうとするため空気を読みすぎる」とか書いてあるんじゃないですかね?

 だいたい合ってた。

なのでこの本について書くことはほぼありません。
せっかくいただいたコメントでしたが「誤読のようです」という結論をお伝えせざるを得ません。

ではここで私が受けた指摘と、それに対する回答をもう一度振り返っておきます。

 

<<私が書いたこと>>
「女は男に活用されるモノ(資本)である」と考える男性的な社会からすれば、
早い段階から出産を強く意識し、計画している女性というのは「使いづらい」存在だ。

<<指摘を受けたところ>>
男性的社会という言葉には、いささか納得がいかない
→その意見の根拠として、河合隼雄さんの著作『母性社会日本の病理』を紹介される

<<指摘に対する回答>>
『母性社会日本の病理』によれば

父性と母性のふたつの原理が人間の生き方の中に働いているが、わが国の文化は明らかに母性の文化に属している。しかしながら、ひとつの文化がひとつの原理のみで成立するはずがなく、何らかの方法で対立原理をその中に取り入れ補償をはかっている。わが国の場合は、母性原理に基づく文化を、父権の確立という社会的構造によって補償し、その平衡性を保ってきたと思われる。
 つまり、父親は家長としての強さを絶対的に有しているが、それはあくまで母性原理の遂行者としての強さであって、父性原理の確立者ではなかった。(P61より引用)

 ということです。
著者もたびたび書いているのですが、ふたつの原理はどちらも人間の生き方の中に働いています。
母性原理は女性特有のもの、父性原理は男性特有のもの、と読み取るのは誤りです。

ご指摘は 日本は「男性的社会」とはいえないだろう ということでしたが
それに対する私の回答はこうなります。
「母性原理が強く作用する社会であるとは考えるが、女性的社会だとは考えない」

ですが著者も「母性原理」と書くべきところを「母親」と書く、
「父性原理」について書いている箇所で「男と男の~」という表現を用いる、
などという実に紛らわしい文章を書いてしまっています。
これでは内容を誤って理解してしまうのも仕方がないというように思います。

こういった誤読を防ぐために
母性原理と父性原理をそれぞれ「A原理」「B原理」と置き換えて読むのをおすすめしておきます。

なぜ置き換えを推奨するか。
それは自分でそういうつもりになっていなくても字の持つイメージに引きずられることが結構あるから、です。

レポートや論文を書くために文献を多読する必要があるとき、私は「速読」をしています。
速読といっても自己流のやり方なんですが、ざっくり説明すると
目にした字のイメージを瞬間的に頭に浮かべて脳裏に貼り付ける」というもの。
日本語の文章のときしかこのやり方は通用しないんですが…。
要するに「漢字が持つイメージを瞬間的に記憶する」ということ。
このときに邪魔になるのが「母性原理」「父性原理」などの紛らわしい言葉です。
もとの「母」「父」の持つ字のイメージに引きずられて、女性・男性といった言葉と結びついてしまいます。

こういう厄介な表現が出てきた場合は付箋などに定義をメモしたうえでまったく別の表現に「置き換え」ておきます。

この手順をサボって読むと、あとで非常に厄介な誤解をしてしまうんですよね…。
「置き換え」ておいても間違うときは間違うので、あんまり偉そうに言えた立場ではないです…。

話がかなりあっちこっちしましたが、頂いたご指摘に対する私の意見をまとめて終わります。
誤読のようです。A原理、B原理と置き換えて読むといいかもしれません。
私自身はこの本の著者のように日本を「母性原理が強く作用する」社会だと考えますが、
女性的な社会とは現状とても言えないというように考えます。以上。