ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

「レイプ神話」への懸念 「表現の自由」を叫ぶ前に考えてほしいこと

強姦・脅迫・セカンドレイプを考える。

私の住んでいる宮崎市で起きた強姦事件、そして被告側弁護士による脅迫。
繰り返しいろいろな報道を目にし、耳にするたび胸を痛めています。

被害に遭われた方々のご心痛のほど、お察しいたします。

毎日新聞が最初に報道した際の記事がこちら。


容疑者が経営していたマッサージ店のサイトもまだ残っています↓

宮崎市 アロマトリートメント・アロマテラピーのAroma & CafeSpaceVent

よく見ると店内で合コンを開催するといった情報も掲載されていますね…。
これを根拠にした「女性の注意不足だ!」というセカンドレイプ言説が流布しないことを祈ります。

 

強姦の様子を撮影したビデオがあるものの、容疑を否認。これが意味するものとは。

毎日新聞が1月21日水曜日に配信した記事がこちら。記事の一部を引用します。

無罪の決定的証拠であるビデオを法廷で上映することになるが、被害者はそれでもいいと考えているのか」などとして、ビデオを処分する代わりに示談金なしで告訴を取り下げるよう求められた。翌日、捜査機関にビデオの複製が提出されたが、その後も「ビデオの原本をどうするか」などと示談を迫られた。 

 被告側弁護士によれば、強姦の様子を撮影したビデオは「無罪の決定的証拠」とのこと…。
被害に遭われた女性の手記も引用します。

起訴された後、法廷で証言をしなければならなくなり、そのビデオに写されているのが自分なのかを確認しなければなりませんでしたが、自分がレイプされている映像を見て、家に帰りつくと猛烈な頭痛に襲われました。捜査機関の方がビデオを見た上で起訴しているわけですが、法廷で述べたとおり、映像は、当時自分の頭で思っていたほどは強くはなかったですが、抵抗している様子は映っていましたし、言葉でも何度も拒否していましたので、これのどこが無罪の証拠なのか、弁護人はそういえば私が告訴を取り下げると思っていたのではないかと今は思います。その日は、しつこいくらい夢に出てきてまともに眠れず、次の日は仕事を休んでしまいました。

法律で決められていることだと説明を受けてはいますが、ビデオを見れば分かるのに、法廷で証言し、弁護人から繰り返し「抵抗できたのではないか」という趣旨の尋問を受けなければならないというのは、被害女性にとってこれほど屈辱的なことはないと思いました。

(中略)

また、抵抗しないのではなくて、できなかったのだということ、アダルトビデオのような激しい抵抗は、女性の安全が保障されていて、身の危険を感じない状況であるからこそできることなのだと実際に体験して思いました。この事件がそういう世界のことではないのだということを理解していただきたいと思います。

被告にも弁護人がつかなければならないという決まり*1があるものの、
被告側がビデオを「無罪の決定的証拠」と位置づけているということを私自身は恐ろしく感じます。

強姦容疑を否認しながらも、その様子を撮影したビデオを「無罪の決定的証拠」とするのは
その行為が強姦ではなく、和姦であったと主張することを意味しているからです。

被告側の弁護人といえば、被告の責任能力を問う形で弁護するというケースを想起する方が多いと思います。
が、強姦の容疑で逮捕された被告を裁く際に取り上げられるのは
もっぱら女性が抵抗したか、しなかったか…つまり「強姦なのか和姦なのか」です。

私は「被疑者を弁護するな」と主張しているのではありません。

ただ、被疑者の弁護に「レイプ神話」が用いられることへの懸念を表明しています。

 

セカンドレイプを招く「レイプ神話」とアダルトビデオ、そして漫画規制

レイプ神話とは、性暴力被害に対する俗説のことです。
必死で抵抗すれば逃げられたはずだ
被害者の側に注意不足、隙があったからだ
被害者の服装や行動に原因がある
実はレイプされて喜んでいる(膣が濡れていたから)
男性の性衝動は抑えることができない

などなど、挙げ出せばキリがないほどレイプにかかわる俗説が存在しています。
そしてこういった俗説を支えているひとつの要因にアダルトビデオが考えられます。
被害に遭った女性も、手記のなかで「この事件がそういう世界(=アダルトビデオ)のことではないのだということを理解していただきたいと思います」と記しています。

少し前に、児童ポルノに関連して漫画規制の是非が問われたことがありました。
実在する子供を守るためのものではない。漫画規制は表現の自由を侵害うんたら…というやつです。

私自身の考えを述べます。
確かに、漫画を規制するだけでは実在する子供を守れません。
が、そういった漫画が「子供」「性」そして「性暴力」について誤った俗説を
広めかねないものであれば、規制の是非を問い続けるべきです。これはアダルトビデオも同様。

表現の自由憲法で守られた権利なので、主張されて当然です。
しかし、本当にその自由を守りたいのであれば
「誤った俗説を広めたり、深めるものではないか?」と考えるのが先だと思います。

 

長くなった上、内容をうまくまとめることが出来ませんでした。
しかも書きたいこと、言いたいことの半分も出せていないと感じます。

このあたりはまた今後ブログを更新しながら訂正・加筆をするなどして補っていきたいと思います。

 

今回、ブログでこの問題を取り上げるべく事件についてずっと考え続けていたところ、不眠症になりました。
そのため、「毎日更新」を謳っている当ブログですが更新の遅れも予想されます。ご了承ください。

読者の皆さまのブログは、こちらからも読者登録をさせていただき
日々楽しく拝読いたしております。これからもどうぞよろしくお願いします。

 

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*1:日本国憲法第三十七条3項による