ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

「おっぱいは誰のもの」炎上にみる、性を押し付けるという問題

「おっぱいは本人のもの。はい、終わり」と思いつつこの記事を読みました。

「おっぱい」は誰のものか…京都の研究会が「文化論」出版 : 京都新聞

女性の「からだ」と「こころ」に関わる専門家らでつくる乳房(にゅうぼう)文化研究会(事務局・京都市南区のワコール内)が、20年余りの研究内容をまとめた編書「乳房の文化論」を出版した。母性のしるしであると同時に女性のアイデンティティーでもあり、性的な対象にもなる「おっぱい」の不思議を、12人の研究者らが幅広い角度からとらえている。 (上記事より引用)


はてなブログにはすでにこういう記事も上がっています。
pokonanさまが指摘しているのは主にこちらの問題↓


これもかなり大問題です。が、こういう問題ツイートをしたのも記事を読めばうなずけます。

なぜなら女性の乳房を「母性のしるし」「女性のアイデンティティ
挙句の果てには「性的な対象」とまるで当たり前のように書いてしまっているから。

性的な対象として消費することが前提の書きっぷり。ものすごく腹が立ちます。

 

詳しく書くと本筋から逸れるのでここではごくあっさりと書きますが、
私は第二次性徴期がやってくるまで自分のことを本気で男だと思っていました。

そのため大人の女性の身体に近づき始めた自分の身体を心底嫌っていました。
膨らみ始めた乳房も嫌悪の対象のひとつでしかありませんでした。

なぜかというと、それは「女性」としての記号を押し付けられる格好の材料だから。
男の子の友人とおなじような生き方が自分には出来ないのだ、と思い知らされることを嫌っていました。
中学、高校の頃は学校の制服という呪縛からは逃れられないので
乳房をつぶして平らにするインナーを着用するという見えにくい反逆を行って自己同一性を保っていました。
今でもその日の気分にあわせてこういうインナーをつけておでかけします。楽だよ。

で、そうやって必死に反逆していた頃にこういう出来事に遭ったわけです。

パンティー強盗(未遂)に遭い、警察からセカンドレイプされた話

女子中学生のパンティー欲しさに犯罪に手を出した男の人も、警察の男の人も、
私の身体、女性性というものを消費することを前提にした思考をしていると感じました。

女性性を「性的な対象」として消費することを前提にものを考える人のほうが
女性の乳房のことを「女性のアイデンティティー」だと思い込んでいる気がしてなりません。
私はそういった記号を押し付けられたくないから歯向かっていたわけで。

大人になり、自分の身体のことをすこしずつ受け止められるようになってはじめて
「この人(婚約者)とわたしのこども、産みたいな」と思えるようになりました。
ここまでの道のり、本当に長かったです。

が、やっぱり今でも自分の身体すべてまるごと受け入れるのは難しいです。
それは「女性性=性的なもの」と思い込んでいる人からの視線が今でも怖いから。

 

もし、「私の身体は私のものだ!」と誰もが堂々と言える社会が実現するとしたら、
それが他人によって「性」という記号を押し付けられたりしない社会なんだと思います。

 

そういえば、こういったことを強く主張していたろくでなし子さんという漫画家の逮捕が話題になりました。
私がこの方に対してただ一言いいたいのは「ろくでなし」を名乗らないでほしかった。

それに尽きます。