ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

「いじられキャラ」という「芸風」をどう考えるべきか

昨日書いたこちらの記事に対し、はてなブックマークからコメントを頂きました。

結局のところ「差別性」をネタにするのがバラエティってことでしょ。それが無くなったら「最近つまんなくなった」って言う人がいるわけだし。(id:herpes_carrierさまのブックマークコメントより引用)

id:herpes_carrierさまが指摘するように、バラエティ番組における「笑い」は差別を内包しているものがしばしばみられます。
たとえば容姿が「不細工(ブス)」であるとか、「オタクキャラ」で「キモい」とか、そういった特徴を「いじられ」ることで場を盛り上げるお笑い芸人やタレントがいます。
日村勇紀さん(バナナマン)や山里亮太さん(南海キャンディーズ)、白鳥久美子さん(たんぽぽ)といった方が該当します。

また、「リアクション」で人々を楽しませる「リアクション芸人」という括りも存在します。
上島竜兵さん(ダチョウ倶楽部)や出川哲郎さんがこれに該当します。

こうした「芸風」で活躍するお笑い芸人・タレントを「いじられキャラ」として総括する考え方もあります。

小学生の時、私は「いじられキャラ」として周囲から扱われていました。
いじられキャラ」には何をしてもいい。何を言ってもいい。そういう雰囲気がありました。
体毛が他の女の子より濃かったことから「マウンテンゴリラ」というあだ名で呼ばれていました。
いじられキャラ」だったので、階段を降りている途中に中身の入った牛乳パックを投げつけられましたし、トイレに入っていたら頭上から水をぶちまけられました。
いじられキャラ」は、その容姿やリアクションによって周囲を楽しませるために存在します。
怒れば怒るほど、悲しめば悲しむほどその仕打ちはエスカレートしていくばかりでした。

私が「差別を内包したテレビ番組は許されるべきか?」という問題提起をした原因がこのあたりにあります。

日頃意識されることはほとんどないと思いますが、バラエティ番組の「笑い」は差別を内包したものが多いです。
誰かの容姿を笑う。誰かの発言を笑う。誰かの行動を笑う。誰かの嗜好を笑う。
「笑わせる」というよりは「笑われる」という形で盛り上げる「芸風」
この先にあるのが「自虐」です。「笑われる」より前に自虐することで笑いを誘う。
お笑い芸人のヒロシさんなどがその手法を用いる芸人の代表です。
また、お笑い芸人・タレントに限らず、たとえばHKT48指原莉乃さんも「自虐」を持ち味にしたトークを展開してきました。

これはお笑い芸人・タレントさんが「芸風」として確立させたからこそ成り立っているもので、誰彼構わず適用していいという性質のものではありません。
いじられキャラ」として相手を扱うことが「いじめ」につながる場合もあります。
テレビなどのメディアで活躍する「いじられキャラ」は「芸」としてそういう盛り上げ方を会得しているだけであること、そしてそれを認識できていない人がそこそこいるらしいことを私は自分の身を持って体験しています。
「芸」のすべてをメディアから一掃しろと主張しているのだと勘違いされているようですが、私の主張はそうではありません。
そうではなくて、こうした「笑い」に差別が内包されていること、現実にそうした行為を行うことは許されないことをきちんと教育する必要があると考えています。

はてなユーザーは「考える」ことが大好きな人が多いので、あまり想像がつかないかもしれません。
しかじ、実際に「自分たちさえ楽しければいいやー」という思考停止状態に陥っていた人を私は何人も見てきました。
本当におそろしい思いをしてきました。こんな目に遭う人を一人でも減らしたいです。

なんだか過去のことを思い出しながら書いていたら文章がめちゃくちゃになってきました。
読みづらくてすみません。冷静になったら書き直すかもしれません。書き直さないかもしれません。

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最後になんかいい話っぽいのを書いておきます。

かつて、「天才テレビくん」に月亭方正さん(当時の芸名は山崎邦正さん)が出演していた時期がありました。
私はこの頃の「天才テレビくん」が大好きで、かなり熱心に視聴していました。
ある日、テレビの前で「邦正おもしろーい」などと言いながら笑い転げていたところ、母から怒られました。

「邦正 さ ん でしょう?」

この当時は「なんだよお母さんいちいちうるさいなー」という程度の認識しかしていませんでした。

少し大人になってから、これは「テレビの向こうにいようが相手は一人の人間。相手を尊重し、思いやる心を持ちなさい」という教えであるらしいことに気付きました。

そういう「芸風」を確立させている相手であっても、尊重する気持ちを忘れてはならないと思います。
あのときは理解できなかったけれど、キツめの口調で叱りつけてくれた母親には感謝しています。

そういう話。

 

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「くだらない悪ふざけ」と称して差別を内包したテレビ番組は許されるべきか?

この記事を読みました。
id:dobonkaiさまが「テレビを見なくなった理由」について個人的な感想を綴ったものです。

記事の後半では「視聴者の学級委員長化」が当たり障りのない番組の量産を招いたと指摘しています。

私の子供の頃はテレビでも普通に「おっぱい」が出てきた。
今のテレビではまず出てこない。

(『めちゃ×2イケてるッ!』の前身番組にあたる『殿様のフェロモン』の一コーナーである「快感!ハケ水車が回っているのは誰だ?クイズ」の映像が貼りつけられている。出演する3名のAV女優のうち、刷毛のついた水車が当てられている1人が誰かを当てるという内容。)

今ではとても許されないような内容の番組も多々あった。
そういった番組がドンドンと消えていって、今はお行儀の良い番組しか残っていない。
これはネットが発達したことで、一般人の発言力が高まったせいだと思う。
テレビで何かが起こるとネットの中でバッシングが巻き起こる。(上記事より引用)

id:dobonkaiさまは「ネットが発達したことで、一般人の発言力が高まった」ために「お行儀の良い番組」しか残らなくなったと書いています。
つまり「お行儀の悪い(低俗な内容を含む)」番組が制作されなくなったのだ、と。

低俗な番組を作ればテレビが面白くなるわけではないけれど、くだらない悪ふざけ的な番組すら許されないような環境下では、尖っていて興味深い番組が出てくる「余白」みたいなものがドンドンと無くなってしまっている気がしてならない。
昔ほどテレビ局にお金が無いのも一因だとは思っているけれど、視聴者の圧力というのは製作者側の手を縮こませる要因になってることは想像に難くない。(上記事より引用)

この指摘には「うんうん」と頷ける箇所もありますが、その一方でインターネットによって番組に対する「視聴者の圧力」が高まったという仮説の立証は難しいと考えられます。
というのも1998年、2001年、2011年の「27時間テレビ」では「快感!ハケ水車が回っているのは誰だ?クイズ」がちゃっかり「発水機能」や「バイブレーション機能」の追加などのテコ入れを経て放映されたようなのです。
ですからこの番組にだけ着目すれば、少なくとも2011年までは「低俗なコンテンツ」の完全排除には至っていないことがわかります。
当然、この年以降の番組制作に影響を及ぼした可能性も考えられますので、この点だけを取り上げて「インターネット別に関係ねーじゃん!」とは主張しません。ここでは上記の事実を提示するにとどめておきます。

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ところで、こうした「くだらない悪ふざけ」的なコンテンツを許さないという視聴者側の姿勢は「表現の自由を侵害する」として批判されるべきものなのでしょうか。

私個人の意見をぶちまけましょう。

私は、「くだらない悪ふざけ」と称して女性性を消費するような番組は非難されるべきだと考えています。
紹介した記事に貼りつけられていた「快感!ハケ水車が回っているのは誰だ?クイズ」の映像を私は非常に不愉快に感じました。
女性性を面白おかしいもの、くだらない悪ふざけとして消費している。このことに腹が立ったのです。

「いじめ」による自殺の報道で、「いじめ」の加害者が「ふざけていただけだった」「単なる遊びだった」などと話していたことが報じられることがあります。
「ふざけ」や「遊び」であれば許されたのでしょうか?そうではないと考える人が圧倒的に多いのではないかと想像します。

表現の自由」は当然、保障されるべきものです。
ただ、発表する作品が、それを鑑賞する側からどのように受け止められるかを考えることをせずに、好き勝手に公表していいという性質のものではないというようにも考えています。
テレビで放映するということは、あらゆる人がその番組を視聴することが可能な状態にするということです。
番組の制作・放映に関して「NGワード」や「映してはならないもの」が設定されるのはこのためで、視聴者の圧力に屈しているからではありません。

私が懸念しているのは「悪ふざけ」を無条件に容認することで差別が生まれることです。
性感帯を刺激されている状態の女性を面白おかしく消費するといったコンテンツは、「女性とその身体は弄んで楽しんでよい」という類の女性差別を生む可能性が想定できます。
人権を侵害する差別を「表現の自由」という言い訳で容認することはあってはならないことだと私は考えています。

この番組にMCとして出演していた女優の常磐貴子さんは、番組の最終回で「もうバラエティに出ることはない」と話し、実際にそれ以外のバラエティ番組には出演をしていません。
もしかすると女性の性を面白おかしく取り上げる番組に対して不快感を覚えていたのかもしれません。これは私の推測に過ぎませんけれども。

元テレビっ子としては、また昔のようなワクワクするようなテレビが戻ってきてくれないかなと願うばかりだ。(上記事より引用)

ワクワクするようなテレビ番組の内容に「差別」が内包されていないかを考えられる人だけがテレビを見ているわけではありません。私たちはこのことを前提にしてメディアについて考えていく必要があると思います。

 

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本日の更新はおやすみです&質問と意見を募集します

こんばんは。

大変申し訳ありませんが、本日の更新はおやすみとさせてください。
精神的にちょっとぐったりすることがありまして…。
別に大したことではないのですが、かなり個人的なことなのでブログでその詳細を書くことはしません。
少し休めば大丈夫だと思います。

 

このところブログのネタも尽きつつあったので、この機会に皆さまからのご意見・ご質問を募ることにしました。

↑こちらのフォームからご意見・ご質問をどうぞ。匿名で利用することができます。

記事に対する反論・異論も大歓迎です。
私個人に対する何気ない疑問でも結構です。可能な限り答えます。

 

※ご意見・ご質問投稿時の注意点※
性的嗜好など、あまりにもプライバシーに関わる質問には答えられない場合があります。
・頂いたご意見・ご質問を元にブログ記事を執筆する場合があります。

 

明日は普段通り更新する予定です。
では、また明日。

21歳の私がスキップをしながら投票所に行く理由 私の両親と3つの「いけん」の話

「投票ができるのは大人の『権利』だけど、絶対に棄権はしないように。ちゃんと投票に行ってね」
私の両親は、私が幼い頃からそのように言い聞かせてきました。

本日4月12日と4月26日の2回に分けて行われる第18回統一地方選挙
1回目の今日。もちろん、投票*1へ行ってきました。

本日の記事のタイトルは「21歳の私がスキップをしながら投票所に行く理由」としました。
ただ、その理由はすごく単純です。
私にとって選挙とは「楽しい」ものだから。これだけです。

では、いったいなぜ選挙が「楽しい」もの、「わくわくするもの」だと認識できるようになったのか。
今回は、投票所へスキップで向かう(やや風変わりな)若者を育てる方法を伝授します。

 

◆選挙に関わるローカルルールがある我が家 ~2つの「いけん」を守り、1つの「いけん」をなくすために~

教育に非常に高い関心と意欲を持ちながらも「放任主義」を貫いてきた私の両親。
厳しいルールで子供を管理する家も世の中にはあるのかもしれませんが、我が家はそうではありませんでした。
そんなルールの少ない家でしたが、「選挙」に関しては3つのローカルルールがありました。

  • 投票の棄権は絶対にしない。
  • 家族であっても「どの政党を支持するか」「誰に投票したか」は明言しない。
  • (基本的に)家族みんなで投票所に行く。

この3つです。

まず1つめ。これは記事の冒頭にも書いたとおりです。
投票したところで意見が反映されないと思っている人もいるが、それは違う。投票しない人の声に耳を傾けてくれるはずがない。まず、できるだけあなたの話を聞いてくれる人を選んで投票しなさい。もし『私の話を聞け!』と怒るならば、そのあとのことだ
私の両親の教えはこうです。納得がいく内容だったのでこれに素直に従っています。

2つめ。家族であっても支持政党、投票した候補者を明らかにしない。
家族であっても、それぞれが一人の人間。自分ではない、他人にすぎない。支持する政党・候補者を明らかにしないのはそれぞれにとっての『自分の意見』を尊重しあうためだ
私の両親はかなり仲がいいです。それでも絶対に支持する政党・候補者の名を明らかにすることはありません。
幼かった頃は「なかよしのお父さん・お母さんでもお互いにナイショのことがあるんだ!」と驚いたものです。
今ではその理由がよくわかります。相手を尊重するからこそ言わないということもあるんだということが。
(ちなみに「支持政党・投票した候補者」の名前は明らかにしないまでも、ニュースを見ながら政治についての意見を交わすことは習慣になっていました。)

3つめ。家族みんなで投票所へ行く。
家族の足並みを揃えることで『行き忘れ』を未然に防ぐため
家族全員で出かける予定を立てることで互いに声をかけ、選挙へ行き忘れることを防ぐ目的があったそうです。
そしてこれは「投票所に行くのは当たり前のことだ」という意識を私に植え付けるのに十分な役目を果たしてもいました。

両親はこの3つのローカルルールのことを「2つの『いけん』を守り、1つの『いけん』をなくすための決まり」と呼んでいました。
2つの『いけん』とは「意見(異見)」のことです。

  1. 自分の意見を反映してもらえるように働きかけよう。
  2. 相手の意見を尊重しよう。

この2つが守るべき「いけん」。
そしてなくすべき「いけん」が「行けん」です。北九州で使われる方言で「行けない」の意。
つまり「行けない」をなくそう、というわけ。

私はこのルールをとっても気に入っています。理由も納得ができますしね。

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◆選挙に行く=楽しい という印象を抱かせるテクニック

ここまで、我が家のローカルルールを紹介しました。
しかしながら、これだけでは私がなぜ「選挙を楽しいものだと認識しているか」がわかりませんよね。

これもやっぱり両親のおかげです。

私の両親が使ったテクニックを2つ紹介しましょう。
先ほどのローカルルールと組み合わせると、投票への意識が高い若者が生まれる…かもしれません!

  • 投票所に漂う「非日常感」を体験させ「どきどき・わくわく」の感情を引き出す。
    投票所は近所の小学校でした。未就学児の頃は「小学校の敷地内に入る」だけでもどきどき・わくわくしたものです。小学生の頃は「普段体育の授業で使っている体育館にブルーシートが敷かれている」いつもと違う感じを楽しみました。中学校に入ってからはもう卒業した小学校に再び足を踏み入れられることに心を弾ませました。私の両親はその「どきどき・わくわく」を引き出すちょっとした声かけがとても上手でした。「何があるかな?」「いつもは何をやってるの?」とかそういうのですけど。
  • とても楽しそうに投票所へ向かう。
    私の両親はこれを徹底していました。もしかするとだるかったかもしれません。しかしだるそうな素振りを見せたことはありませんでした。意識的にそうしていたと思います。私が忘れられないのは1997年1月(当時4歳)の北九州市議会選挙のときの思い出です。両親は、スキップができるようになったばかりの私の手をとると一緒に「スキップ」をしながら投票所へ向かいました。私が今もスキップをしながら投票所に行くのは、このときの記憶がとても楽しかった思い出として残っているからです。馬鹿らしいと笑われたらそれまでですが、私にとっては大切な思い出なのです。

これだけです。それでも私の中には「楽しかった思い出」として選挙の記憶がインプットされています。
この効果は絶大で、今日に至るまで私は「選挙ってたのしーーーい!!!」と本気で思っています。

 

以上が投票所へスキップで向かう(やや風変わりな)若者の育て方です。
皆さまの参考になれば幸いです!!

 

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*1:宮崎県議会選挙

「男子力」アップの本がないのは男性差別?そんなわけあるか!!

この記事を読んで「イラッ」としてしまいました。

世の中には「女子力アップ」系の本は大量に売られているし、雑誌などでもよく特集されている。しかし、「男子力アップ」というタイトルの本を私は見たことが無い。

何故だ! 何故なのだ!

男女平等がどうのこうのと騒がれている現代だけれど、これは立派な男子差別なのではないか?(上記事より引用)

男女平等とか言いながら、なんだかんだでこういう特集も女子ばかりが使われて、今は男性より女性のほうが強い世の中になってしまったような気がする。就労面ではまだまだ女性は働きにくい世の中だと思うけれど。(上記事より引用)

思わず目を疑う内容でした。

「女子力」の獲得を過剰に煽るのは「女性差別」である、というのが私の考えです。
この考えに従うと、「女子力」が叫ばれれば叫ばれるほど差別されるのは女性です。男性ではない。
私がそう考える理由を説明しますね。

 

◆そもそも「女子力」とは何だ??

先ほどの記事を書いたid:uwasanoaitsuさまはこのように指摘しています。

男子力をアップして合コンで好みの女性を持ち帰る方法、だとか、男子力をアップさせてキャバクラで目当ての嬢を落とす方法だとか、男子力という言葉を使って本を書いてもいいじゃないか!(上記事より引用)

「女子力」「男子力」なるものを獲得する→異性との恋愛を成就できる という考え方です。

つまり目標を「異性との恋愛の成就」においているということ。
「女子力」の獲得を煽る女性ファッション誌にも同様の傾向が見られます。

女性ファッション誌の「女子力」獲得のための特集ページはこのように組まれていることが多いように思われます。
まず、街中の男性に対し「ムダ毛を処理していない女性についてどう思いますか?」「乾燥肌の女性についてどう思いますか?」というインタビューを決行。
その結果得られた「ムダ毛があると萎えますね」「やっぱ肌すべすべの女性とお付き合いしたいです」といった回答を紙面に掲載。
そしてムダ毛処理グッズや保湿グッズの紹介ページがドーーーン!!(=広告掲載)

こうした女性ファッション誌の罪深いところは女性は男性から評価されるために綺麗になるのだ、という意識を植え付けるところにあります。

「評価される」ために綺麗になる。
そうした価値観を女性に押し付けているという意味で「女性差別」だと考えられるのです。

こうした押し付けが男性にあまりされていない理由は、id:uwasanoaitsuさまの記述の中からも読み取ることができます。

男子力をアップして合コンで好みの女性を持ち帰る方法、だとか、男子力をアップさせてキャバクラで目当ての嬢を落とす方法だとか、

id:uwasanoaitsuさまの提言する「男子力」は男性自身が女性に「評価される」ようになる、という方向には向いていません
女性側はもともと男性から評価される素質を持っている。これが前提です。
このことは「好みの女性」「目当ての嬢」という言葉から読み取れます。

私が指摘したいのは、女性に対して「男性から(客体として)評価されるようであれ」という価値観を押し付けていることが女性差別ということです。

 

◆「女子力」と「家事労働」

また「女子力」という考え方は「家事労働」とも密接につながっています。
・「女子力」のある女性は料理(お菓子作り)が上手だ
・「女子力」のある女性はお弁当を作ってくる
・「女子力」のある女性は裁縫ができる
・「女子力」のある女性の部屋は片付いている
「女子力」をこのように捉えている方もいると思います。
こうしたスキルを獲得するよう女性だけを煽るのは、女性に対して「家事労働」を強いることと等しくなります。

家事労働を女性だけが負担しなければいけない理由はどこにもありません。
しかしこうしたスキルに「女子力」という名を与えることは、女性にこれを強いることにつながります。

ですから、この意味でも「女子力」の獲得を女性にだけ要求するのは「女性差別」です。

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ちなみに…「男子力」アップの本が出ない理由はなんでしょう??

私が考えた理由はひとつだけです。
「異性から評価されるための自分磨き」という考えが男性にはあまり受容されてこなかったから。

もし「女子力」「男子力」をポジティブな考え方にするなら「勇気を振り絞って告白する」といった「主体的に行動する力」として読み換えていく必要があると思います。

 

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自分のブログが注目されない理由を「注目のブログ」から学んだ話

はてなブログのトップページには「注目のブログ」というページがあります。
いったいどういう基準で「注目のブログ」が選ばれているのかは不明です。
ひとつだけ明らかなことは、私の「ミチクサダイアリー」も注目のブログとして紹介されていた期間があったということ。

しかしながらこの頃はいくら頑張って記事を書いてもまったく取り上げていただけません。
これにはきっとわけがあるはずです。
そこで私は片っ端から「注目のブログ」として取り上げられているさまざまなブログに目を通し、そこから「注目」される秘訣を盗む学ぶことにしました。

その結果、「注目のブログ」として取り上げられているブログにはいくつか共通点が見受けられること、自分のブログはその真逆を行く内容であることが発覚しました。
今回の記事ではその「共通点」を示し、そこから学んだ「自分のブログが注目されない理由」を明らかにしていきます。

 

1.「仕事の質」「効率」「生産性」を高める 「ライフハック」系ブログ

いわゆる「ライフハック(仕事術)」系のブログです。
直近で「注目のブログ」で取り上げられているブログで挙げるなら

こういったブログが該当します。
仕事の質、効率、生産性を高める「仕事術」や考え方、ビジネスの場面で活用できる知識・知見といったことを記事にしています。

これらのブログがはてなブログで「注目のブログ」として紹介されていることから考えられるのは次の2点。
はてなブログの読み手の多くが「ビジネス」に高い関心を持っている(→これは私のブログのGoogleアナリティクスの解析結果からも同じ結果が出ました)
はてなブログにおいては「効率主義」の考えが支持されやすい傾向にある

私のブログは「大学生が日々思うことをつらつら書いたもの」です。
このブログをいくら読んだところで「ビジネス」のために参考になることは書いてありません。
さらに「効率主義」とは程遠い、無駄の多すぎる私生活の様子を赤裸々に綴っている始末。
これでは「注目」されるわけがありません!

 

2.「ミニマリスト」「シンプルライフ」がキーワード! 「最小限主義」系ブログ

最小限主義」をメインテーマに据えているブログです。

 「最小限主義」というと難しそうですが、簡単に言い換えれば「持たない主義」。
不必要なものを持たない。必要なものだけで暮らしていく。
そういった生活のよさを伝える記事を更新しているブログが該当します。

こういったブログが注目されている背景には「最小限主義」そのものへの関心、支持があることがあると思われます。

しかしながら私は↓このような記事を書く程度には「ものばかり持っている」暮らしを送っています。

ものというか、私が大量に持っているのは「紙」ですね。
書籍、ノート、印刷された論文などが自宅中にみちみちと詰まっているような暮らしを送っています。
「最小限主義」に興味を持つ人が多い中でこれでは「注目」されるわけがありません!

 

 3.話し言葉で思いの丈をぶちまける! 「個性派」ブログ

話し言葉で「ぶちまける」スタイルをとっているブログです。
書き手の個性が滲み出るため「書き手」そのものがコンテンツの一部と化すのが特徴です。
そのため、よくも悪くも「火がつきやすい」です。書き手の感情、人間性がブログコンテンツになってしまうので…。
はてなのアイドルこと青二才さんのブログもこのタイプに分類していいと思います。

私のブログは、いってしまえば「自分の考えること」そのものをメインコンテンツとしています。
それでも「注目」はされていません。なぜか。
それはおそらく、私が考えていることにはまだ「独創性」、もっというと「個性」がないのだと思います。
自分の立場や考えこそ明示してはいますが、思い切り感情を吐露した記事は多いとは言えません。
「田舎で底辺暮らし」のpokonanさんがぶちまける「怒り」の感情は、私にはとても安っぽく陳腐なものに思えることも多々あります。
しかし、そう思う反面で「怒り」をぶちまけ続ける彼女には確かな「個性」を感じます。
(それが好意をもって受け止められるような性質のものであるとは考えませんが)

「書き手」そのものがコンテンツとなる側面を持つこうしたブログにおいて、「個性」を感じさせる内容であるということはこれ以上ない「強み」です。
青二才さんがはてなのアイドルとして愛でられているのもこのあたりに理由があると私は考えています。

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結論

「注目のブログ」の特徴を大まかに次の3点に分類できた。
1.ライフハック(仕事術)、ビジネスについて記事を書いている
2.最小限主義ミニマリスト・シンプルライフ・持たない主義)について記事を書いている
3.自分の個性をコンテンツの一部として成立させた記事を書いている

そしてこの3点から、私のブログが注目されない理由を説明できる。
1.大学生が思うこと、考えることが書いてあるだけでビジネスの参考にならない
2.ものを持ちすぎている暮らしぶりについて書き散らしてある
3.感情を「ぶちまける」ことを極力避けてきたために記事から個性を感じられない

これでは注目されるわけがありませんね!!!!

…と、ここまで書いて気がついたのはイケダハヤトさんの末恐ろしさでした。
東京で消耗せず高知でのんびりのびのびと暮らしながらビジネスを語り、「イケダハヤト」という個性を売っている。

強すぎる。

 

ちなみに私は「できるなら働きたくない」「紙に囲まれてしあわせ」という感情を思い切りぶちまける方向で進化していく予定です。どうぞよろしくお願いします。

 

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男性の性欲と女性の性欲は別物か??

「男性の性欲」について書かれた2つの記事が目にとまりました。
いずれも「はてな匿名ダイアリー」に上げられたものです。

「男性は日常的に性欲に振り回される」
「男性は相手の内面と無関係に外見だけで性欲を向ける」いったとんでもない内容。
典型的な太宰メソッド。あるいは主語が大きい事案。そんな言葉で片付けることが容易にできる内容です。
しかし、今回はあえてこれらの記事について取り上げることにしました。

まずは私が読んだ2つの記事を紹介しておきます。

<記事概要>
インターネットを通じて、男性が行動や思考、日常を性欲に振り回されているらしいことを知った。性欲のコントロールには膨大な精神力を使わなければならない。しかも性欲がいちばん強いのは世の中のことをよくわかっていない10代の頃だ。性欲を向けられる対象となる女性にも大変なことはあるが、男性も大変だ。男性は性欲のコントロールができるようになってはじめて大人になっていくのだろうと思う。

 

 <記事概要>
男性は相手の内面に関わらず外見だけで性欲を向けることができる。売春やポルノが産業として成り立つのはそのためだ。女性には「男性の性欲は愛情とは別物」ということを認識してもらいたい。

 

2つの記事に共通している考え方が2つあります。

  • 男性の性欲と女性の性欲は同じものではない(男性の性欲>女性の性欲)
  • 男性は女性を性的に消費する(女性は男性から性欲を向けられる対象だ)

こうした考え方の背景には「女性の主体性を認めない」ことがあると考えられます。
性行為に対し積極的な姿勢を見せる女性は、同じ態度を示す男性と比較すると忌避されがちです。その一方で「処女」はとても大切で、貴重なものとして語られます。いわゆる「処女信仰」が今も残っている形です。こうした考えの由来は「姦通罪」があった時代の名残と捉えることもできるかと思います。

男性の場合はこれとは逆の傾向が示されます。
ネット上では「童貞」であることを自虐的に語る男性の書き込みが散見されます。
このことから男性の場合はむしろ性行為を経てはじめて一人前なのだというニュアンスで語られることが少なくない、と考えることができるのです。

男性だから、女性だから、男性でも女性でもないから。
そんな理由で性欲の強さが決定づけられるわけはない、と私は考えています。
個人差でしょう。そんなものは。

身体のつくりが違っていても、絶対にそれは関係がないと思います。
「性欲」ってもっと、心と関係のあることだと思うんです。

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私はさきほど「男性は女性の内面に関わらず外見のみで性欲を向ける」という内容の記された、男性に対して非常に失礼な記事を紹介しました。
もし仮にそういうことがあったとしても、いきなり身体を反応させているわけではないですよね?
見目麗しい女性を見る⇒「おっ!かわいい(キレイ)だな!」と思う⇒性欲がわく
どう考えても、このぐらいのプロセスは踏んでいるはずです。
青字にした部分は、身体ではなく「心」で感じたことですよね(頭で考えたといってしまえば身体の問題かもしれませんが)

「性欲」は一般に、「三大欲求」の欲求のうちのひとつとして語られます。
残りの二つは「食欲」「睡眠欲」です。そのため「性欲」も生理的な欲求であると考えられています。

しかしながら人間は、進化によってものごとをかなり理性的に判断できる頭脳を持っています。
「性欲」をある程度理性的にコントロールできるのは、「性欲」が身体とだけリンクしたものではなく、心と関係しているものだからだと思います。

こういった理由から、私は「性欲」の強さは性別で決定されるものではないと考えています。
存在するのはあくまでも個人差。

特に私の場合はバイ・セクシュアル(両性愛者)なので男性に対しても女性に対しても性欲を抱くことがあります。
こうした自分の立場からも、性的欲求は男性から女性に向けられる(のが当然)という考え方には異議を唱えておきます。

「男性は強い性欲に苛まれる」という言説は女性の主体性(欲求)を認めないという態度が生んだ幻想だと思います。

 

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