「自分の頭で考える」VS「自分の頭で考えるな」バカなのはどっち!?
「自分の頭で考えるなんてやめたほうがいい」という研究者の話。 | Books&Apps
↑この記事を読みました。
「著名な研究者の彼」という人物が「自分の頭で考えるなんてバカのやること」と言ったという話です。
記事を読んで思ったことをそのままブックマークコメントに記しておきました。
「自分の頭で考えるなんてやめたほうがいい」という研究者の話。 | Books&Apps
これを「ふむふむ」と鵜呑みにするのがバカである。
2015/04/16 17:37
私がこう考える理由を、この記事を引用しながら説明していきますね。
紹介した記事から読み取れる「著名な研究者の彼」という人物の考えを先にまとめて示します。
- 先行研究が山ほど存在するにも関わらず自説にこだわるのは「バカ」だ。
- 「自分がバカであることを認識しよう」と指導するべきだ。
ちなみに、この記事はこの話を受けて「2400年前の哲学者も同じことを言っていた。おそらく真理なのだろう」と結んでいます。
ここでいう「2400年前の哲学者」はおそらくソクラテスだと思います。「無知の知」ね。
同じことを繰り返し書きますが、これを「ふむふむ」と鵜呑みにしてしまうのが「バカ」であるというのが私の考えです。
「著名な研究者の彼」や「2400年前の哲学者」が言っているので「おそらく真理なのだろう」と考えてしまうなんて愚かにもほどがあるというものです。
私は「相手の話をよく聞いて批判する」よう指導することが大切だと考えています。
「批判」という言葉を「否定」や「非難」と混同されている方を見かけることがありますが、そうではありません。
「批判」の基本は「物事に検討を加えて、判定・評価をすること」です。
相手の話を「批判」する中で自分で思考する力が育っていきます。
「相手の話をよく聞いて批判する」ように指導すべきだと考えているのはそのためです。
そしてここでいう「相手」とは人物を問いません。
「著名な研究者の彼」の考えであっても「2400年前の哲学者」の考えであっても批判の対象です。当然のことです。
紹介した記事は、以下のような書き出しで始まります。
「自分の頭で考えなさい、ってよく言うじゃない,、あれ、嫌いなんですよ。」著名な研究者の彼はそう言った。
「普通と逆ですね。普通は、自分の頭で考えろ、って言いますよね。」
「そうですね、若い研究者や学生にありがちなんですが、よく調べもしないで、「私はこう思った」って言うんですよね。」
「なるほど」
「そんなこと、とうの昔に他の人が考えていて、「もうそんな研究は山ほどあるよ」っていっても、自説にこだわるんです。もう、そういう奴は「バカ」って呼んでいいと思いますね。」(上記事から引用)
確かに、「よく調べもしないで」意見することについては私も「むむむ」と感じることはあります。
ただ、この文脈だと「先行研究」に絶対的の価値を見出しているようにも読めます。
「先行研究」をよく学び、参照することは研究における基本的な態度とされています。
私もそのように考えますし、自分ではこれを実践してきたつもりです。
しかしながら「先行研究」だからといって「偉い」わけではありません。より価値があるという意味も決してありません。
たくさん引用されるような「先行研究」であっても、後の研究で覆ることはざらにあります。
「とうの昔に他の人が考えて」いたことを知らずに同じ考えに至る。
このことを「著名な研究者の彼」は「『バカ』って呼んでいい」と考えています。
しかし、こうも考えることができるとは思いませんか?
「とうの昔に他の人が考えて」いたのと同じ考えに自力で至った人がいた。つまり「とうの昔」から変化していないものがあると考えられるのだ、とか。
先行研究そのものを「自説です」と言い張っている人であればバカとか言われてもしょうがないかなーという気はしますが。
自力でその考えに至るということそれ自体を否定すると、何も生まれなくなると思います。
もっと極端な例を出すなら、「ボールから手を離すとボールは落ちる」ことに気がついてはしゃいぎまくっている赤ちゃんに対して「それはニュートンがすでに発見していることだからそんなにはしゃぐことじゃないよ」って言うか?っていう話ですよね。しませんよね。この例はちょっと極端すぎますけど。
「とうの昔に他の人が考えて」いたことに自力で到達することにも十分意義はあると思います。
もしそれを「自分で考えたから自説だもん!」って声高に主張しているアホの子がいれば、そのときに「実は君と同じことに思い至った〇〇という学者がいた。詳しくはその著書で」とかなんとか指導すればいいだけの話ではないかな、と。
自分で考えようとする気持ちがあるだけマシです。本当に。
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少し怖い話をしましょう。
「自分で考える」ことができない人の卒業論文計画書が怖かった、という話です。
現在4年生で卒業論文研究に取り掛かっていますが、ゼミ内は「自分で考える」ことができない人が何人かいます。
そういう人たちはそもそも卒業論文を「先行研究を切り貼りする」という程度のものにしか認識していなかったので、自分で研究をした上で「考察」をしなければならないという発想が存在していませんでした。
なので計画書の第一敲には考察をまとめる章が存在しない代わりに「先行研究のまとめ」という意味不明の章が存在していました。
教授がか細い声で「研究になってない…よね…」と苦しそうな声をあげていたのが印象に残っています。
「では、どうすべきなのでしょう」と、私は聞いた。「学生にどういう指導をすべきなのですか?」
「自分の頭で考えよう、ではなく、自分がバカであることを認識しよう、のほうが、はるかにいいね。本を読み、調べ物をし、人の考えを知る。それは、「自分が何を知らないか」を知るためです。こんなこと、研究者だったら知ってて当たり前ですよ。」(上記事から引用)
自分の頭で考えることができない人は、本を読み、調べ物をすることで人の考えを「鵜呑みにしてしまう」ので自分が何を知らないかを知ることができない。実態はこうです。
つまり「自分がバカであることを認識」させることは不可能だといっても過言ではないと思います。
だから私は「鵜呑みにしてしまうのがバカ」だと考えているわけです。
そして大切なのは「相手の話を聞いて批判する」ということ。
ただ、「批判」って難しいんですよね。
私の実践している方法を、また別の機会に紹介したいと思っています。
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