「断捨離」を1ミリも知らない私が勝手に想像した「断捨離」法で大量の服を処分する!
今回は初の「ミリしら」企画です。
これが好評だったら「ミリしら」企画シリーズということで他のチャレンジもやってみたい。あらすじを一切読まずに続きものの小説の途中から読むとかどうでしょう(笑)。
今回のチャレンジ内容はタイトルの通り。
「断捨離」を1ミリも知らない私が勝手に想像した「断捨離」法で大量の服を処分する!
服が捨てられないんですよ。
クローゼットに服が入りきれなくなってから2年ぐらい経っています。
もう捨てるしかない。捨てるぞ。
結論から言うと、「断捨離」本には頼らずに大量の服を捨てることに成功しました。
「断捨離」という言葉だけは知っているので、そこから勝手に意味を想像してチャレンジ。
「断捨離」とはなんだろう。
たぶんこんな感じだと思います。
断=ものへの執着を断つこと。
捨=実際にものを捨てること。
離=ものから離れること。片付けたあとにものを増やさない?
「離」がよくわかりませんがきっとこんな感じだろう。きっとそう。
私の場合は「服が捨てられない」のでこの解釈でいくと「断」を重視する必要がありそうです。
では、どうして「服が捨てられない」でいたのか。次に考えるのはそこです。
考えられる理由
- 「まだ着られる」と考えてしまう
最近の気分に合っていないだけで、服のサイズはぴったり。いつかまた着ることがあるかも、と考えてしまう。謎のもったいない精神。 - にむすけ君に買ってもらった(思い出がある)
買ってもらった服。一緒にいる時間が長くなればなるほど買ってもらった服は増えていく。その服を着てデートに行ったり「かわいい」と褒められたために捨てづらい。ぼろぼろになって着られなくなっていようが捨てられない。大事なものだもの。
この2点が理由として思い浮かびました。
特に深刻なのが「思い出があるので捨てられない」という後者の方。
なんだかんだ言ってにむすけ君にメロメロ(死語)なのでどうにも捨てづらいんですよね。
とっても気に入って何度も何度も何度も着たためにぼろぼろになって、もう着られたものじゃないんですが…。
こんなになっちゃうまで着たんだ。それだけ一緒にいるんだなあとかしみじみ思い返してしまいましてね!
要するに「思い出」とどう折り合いをつけるか、という話ですよね。
大切にしていた服でも着られないような状態になってしまった時点で「ゴミ」と割り切るしかない。
服は着るために作られたものですからね。着られないならもうどうしようもない、そう考えるしかない…。
よし、捨てよう!
そう思い、私は「思い出」の詰まった服のうち一着に手を伸ばしました。
その時に気がついたのです。唯一ぼろぼろになっていないものが存在していたことに。
服のボタン。
そしてさらに私は思い出したのです。
自分の母親が服のボタンをお菓子缶にたくさん貯めていたことを!!
子供の頃は「お母さんなんでこんなにボタン持ってるんだ…」と思っていましたが、あれは服を捨てる前にボタンを取り外していたからかも…。
というわけで「もう捨てるぞ!」と決めた服のボタンを片っ端から取り外すことにしました。
服はたくさん持っていると嵩張りますが、ボタンならたくさんあっても空き缶1つあれば十分です。
ボタンを見れば「そういえばあんな服買ってもらったっけ…」と思い返すことはできます。
思い出があって捨てられない。その気持ちまで捨てる必要はないと考えました。
そうしてにむすけ君から買ってもらった服のすべてからボタンを外してさらに気付きます。
ボタンを取り外したら「まだ着られる」という状態ではなくなるな…と。
そう。より深刻そうな「思い出があるから捨てられない」問題を解決したら、「まだ着られる」という執着を断つことにも繋がったのです。
おそろしい。ボタン取り外すだけでこんなにも意識が変わるものなのか…。
そうして服への執着を断ったことで、大量の服を古布回収に出すことができました。
残されたのはちいさなチョコレートの空き箱につまったボタンだけ。
この箱の中に詰めたボタンを使って、いつか自分の子供の洋服を作ってみたいです。
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