ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

言及していただきました!新たな「発見」で自分の考えが深まったという話

私が昨晩更新した記事について言及をしていただきました。
その記事を紹介させていただこうと思います。

まさりん(id:masarin-m)さまがこちらの記事で、私の書いた記事と元記事における考えの相違について丁寧にまとめてくださいました。もう私の記事を読むよりこちらを読んだほうがためになるな、という感じです。降参です。

私にとって新しい発見があった部分をいくつか紹介させていただきます。たとえばここ。

あとプチ情報だが、卒論など「先行研究」を並べるだけにしろ、と指示する教授が昔はいたよ。お前らが頭を使ったって、新しい成果に結びつくわけがないだろう。それなら先行研究をきちんと「研究」して、研究のコツを掴め、というのも実は一理あるらしい。(上記事より引用)

ぐえええ。
私だったらこの仕打ちには耐えられないです…。(私のメンタルが弱すぎるせいですかね?)
「論文とはとても呼べない代物を論文として提出させられる」ことが耐え難いです。
負けず嫌いな自分の性分が多分に関係していると思うんですけど「やれないんだからやるなよ」って言われたくないんです。
教授の立場からすれば学生なんてみんな糞に見えるのかもしれません。私はそういう立場には立っていないので自分がどう見られているかなんて想像もつきません。
でもやるより前から「やるだけ無駄」というようなことを言われたくないんです。
とにかく挑戦はさせてほしい。その成果(らしきもの)を確認した上で「はい、クソ野郎」って言ってくれよ、と。
こういう考えを持つこと自体が愚かなのかな…。

 

それからここ。

ただ、普通の四大生がやったって、「先行研究」を批判などできないと思っててよい。「なんか良い」とか「なんか嫌」とか生理的な反応以上のことはできないだろう。批判というのは資質と資格が必要なのだ。資質を得ることは努力してもムダ。資格を得るには・・・・・・。だから研究者は勉強しろ、と言っているのだと思う。

昔から疑問に思っていることがあります。
それは、学びに関する「資質(生まれつきの性質・才能)」は存在するのか?ということ。
私自身は学ぶことに関して「私才能あるわー」と思ったことも「私才能ないわー」と思ったこともありませんでした。
そのため「資質で決まっているわけがない」と考えてきました。
「学ぶ」ことで批判をするためのスキルを会得していくのだ、と。
しかしこの文章を書きながら、もしかすると生まれつきの「資質」とやらがあまりに平凡なものであるから「才能あるわ」とも「才能ないわ」とも認識できていなかったという可能性があることに気付きました。それはそれで嫌だ。
そういうことであるなら、私が「批判をするためのスキルを(少し)ゲットしたぞー」と思っていた時に握り締めていたのは実は資格だった、という話になるんですよね。どうなんだろう。
資質で決まる部分もそれなりにあるものなんだろうか。

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ただ、いちばん大きな発見はそれよりもっと前の部分に書かれていたことでした。これです。

この二つの記事には前提条件の違いがあるように思う。ゆっこさんは人とのコミュニケーションの効果を信じていて、元の研究者は他人とのコミュニケーションの効果を信じていないのだろうという風に思った。

対人恐怖症のきらいがある私だけれど、どうもコミュニケーションの効果ありきでものを考えていたようです。
こうした指摘ははじめて受けたので驚いています。しかし、指摘されてみたところでもう一度文章を読み直すと確かにそういう考え方に基づいて書いたもののように思われました。
ということなので次回は「コミュニケーションの中からアイディアを生み出そう」という方向で記事を書こうと思います!

今回記事について言及していただいたことで、自分の考えをより深めることができました。
まさりんさま、ありがとうございました!!

 

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