ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

「落ち着いて考える」ことの大切さを思う(私が言うなという話ですが)

恐ろしい恐ろしい…。

いやね。
私はね、別に般若波羅蜜多心経唱えて反省しろ!とは言ってないんですよ。まったく。
まあ正直なところこの方が面白いと感じたので、今後はこういった路線の記事(?)に期待したいところです。

そんなid:zeromoon0さまの過去記事を読み返していたところ、非常に興味深い内容のものを見つけました。
たいへん共感が持てる内容でしたので、せっかくのご縁ですし今回はこちらをご紹介させていただこうかと。

自分は割と接客業やイベント運営的なことをしていたのですが、そこで身に着けたスキルで何にでも応用ができるなぁと思ったのは「お客様から苦情が寄せられたら言い訳をせず、とりあえず謝って言い分を聞く」というものでした。(無要の葉「『謝ったら死ぬ病』の話」より引用)

世の中にはいわゆる「謝ったら死ぬ病」にかかっている人もいる。「謝る」という行為はすなわち「自分の過ちを認める」ということだ。だいたいは中学生以上になれば「自分」と「自分のしてしまったこと」を切り離して考えることができるようになる。だから「自分のしてしまったこと」に過ちを認めても「自分」が傷つくことはない。これを適切に切り離すことができないと「謝ることのできない人」の完成になる。(無要の葉「『謝ったら死ぬ病』の話」より引用)

要は「謝る」っていうのは「自分の非を認めて」「相手を認める」という高度な精神活動なんだろうなってことです。逆に「謝らない」っていうことは「自分の都合のよい部分のみを認めて」「相手を認めない」ということです。(無要の葉「『謝ったら死ぬ病』の話」より引用)

だから人はいつまでもわかりあえないんだろうな~とぼんやり思います。

この記事で「謝罪の王様」という映画を紹介しました。
ネタバレしちゃうと面白くない映画なので、細かい内容については触れていませんが。

この映画には「謝れない人」がたくさん出てきます。
「謝罪師」である主人公の仕事は、「謝れない人」から依頼を受けてその代理で謝罪をすること。
映画で何人も出てくる「謝れない人」たちの特徴がまさにこの記事で言い表されているとおりのものでした。

「自分の非を認めて」「相手を認める」ことができない
これは、私自身も非常に苦手としていることです。

ぼんやり反省のポーズだけ取りつつ、「でも」とか「だって」とか口走ってしまうんですよね。
このままじゃいけない、「でも」「だって」は禁句!と心に決めても、かなり気を付けていないといつの間にか飛び出してしまいます。

その部分に相当する箇所がここです。

子供が万引きしたときに親がやってきて「ほら、ごめんなさいしたでしょ! お金を払えばいいんでしょ! だから許しなさい!」とまくし立てる親がいるらしいですが、それは迷惑をかけた側が絶対言ってはいけないことだと思うのです。謝罪になっていないどころか「相手を認めるふりして認めないポーズをとっている」という悪い印象を与える結果にしかならないと思うのです。

こういう記事を読んだ直後はものすごく自省するんですよ。
怒りに身を任せて冷静になりきれないうちにあれこれ捲し立てるのはダメだよな~、とか!!

いや、冷静になっているときに考え直せば「そりゃそうでしょ!」と思えるんですよ。
問題は感情の自制がなかなか効かない場面。中でも「怒り」という感情に飲み込まれているときですね。
こういう状態のときは普段よりいっそう「自分の非を認めて」「相手を認める」ことが難しくなってしまいます。

なのでこういう事態に陥った場合は般若波羅蜜多心経を唱えて心を落ち着かせるのがよいのかもしれません。
最初は驚きましたけどね。冷静に考えると素晴らしいことだと思えてきます。

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ところで、ここまでの話とはほとんど関係のないお話をひとつ。
手帳から、にむすけ君との会話中のメモだと思われる下記のような覚え書きを発見しました。

タヌキ:仏教
キツネ:神道
共通点:化ける

たぶん最初はブログ記事のネタかなにかにしようと思っていたはずなんです。
(居酒屋でお酒をがばがば飲みながら走り書きしたものと思われるメモなので記憶がうやむや)

でも酔いが覚めたところで考え直し、ひとまずボツということにしました。
落ち着いてところで考え直してみるということの大切さを噛みしめる今日この頃です。

 

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