ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

差別について書く前に「相手が悪い(自分は悪くない)」という考えから離れるべき

zeromoon0(敬称略)の「お詫びといろいろ」という記事(ウェブ魚拓)を読み、話の通じなさに愕然としました。

そうやって義憤に駆られる態度が余計な炎上を巻き起こすんだって主張をしているの。文章って言うのは自分が読みたいように読み取ることになっているからもう自分は何を書いても「差別主義者が書いたからこれは差別をしている主張になるに違いない」ってところから始まる。それならそれでいいけど、その場合「差別主義」のレッテルを貼ったほうも同じく差別をしているわけで、それにみんな無自覚なんだよ。自分は幸せにもいろんな人に「差別してんじゃねーよ」って言われているけどね。(無要の葉「お詫びといろいろ」より引用)

義憤道義に外れたことに対して感ずるいきどおり。三省堂大辞林より)

道義に外れたことに対して感ずる憤り(義憤)に駆られる態度が余計な炎上を巻き起こす…?
それって道義に外れたことに対する憤りを表明すると炎上するからやめておけってことでしょうか?
だったら「黙って抑圧されるのがよし」ってメッセージとして読めてしまうのですがそこは大丈夫ですか?

確かにzeromoon0の指摘通り「読みたいように読み取る」ことができる側面が文章にはあります。
ただそのことだけを指摘し続けるのであれば、自分の中に存在する差別意識とはなかなか向き合えないでしょう。

「読みたいように読み取る」ことだけを問題視する。
これは「読みたいように読み取る」相手だけを問題視することと等しくなります。
読み手が曲解してるから悪いんじゃー!(自分は悪くない)という考え方に陥る原因になりかねないということ。

いきなり差別主義者だの抑圧者だの殴られる(無要の葉「お詫びといろいろ」より引用)

もう自分が何を言っても差別になる(無要の葉「お詫びといろいろ」より引用)

「いきなり」「殴られる」「自分が何を言っても差別になる」このあたりが引っかかります。
こういう書き方だと「自分は悪くない」と言い訳しているように読めてしまうんですよ…。
殴られた!って騒ぐ前に書き方をもう一度見直された方がいいと思います。
文章に「読みたいように読み取る」ことのできる性質がある以上、そこは慎重になるべきでしょう。

こんなこと言ってる場合じゃないですよ!!そこまで大それたこと言ってないよ!!
というか書けば書くほど誤解を生むことが明らかであるなら、もう黙っておけばいいんじゃないですか?
だってこの人、自分で書いているんですよ。
道義に外れたことに対する憤りを表明すると炎上するからやめておけ、って。
この理屈に従うなら、自分の書くことが正しいと考える限り黙って抑圧されるのが正解ということになっちゃうんですよね…。

私はそうは思わないので、考えることをひたすらアウトプットすることに徹しますが。

まさかとは思いますが「義憤」の意味を勘違いして書いてしまった、とかそういうことなのでしょうか??

無自覚なまま「相手が悪い(自分は悪くない)」と読み取ることもできる文章を書いていることが「抑圧者」とか「差別主義者」とか言われてしまう原因になってしまっているんですよね。
そこを自覚していただいてようやく相互理解への長い道のりのスタートを切れるのだと思います。

「文章をきちんと読めない相手が殴ってくる」みたいな書きっぷりがさらなる誤解のもとになっている
この点を指摘しておきたいと思い、記事を書きました。

こういう態度ではいくら頑張って「自分は女性を抑圧する加害者及び社会を批判しているんだ!」と主張したところで「それをお前が言うなよ!!」と返されるばかりで聞いてはもらえないと思いますよ、という進言だけはしておきます。

 

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