ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

アニメに対する考え方について個人的に思うところ(2)

先日更新したこの記事の続きのような、そうでもないような何かです。

とりあえず書きたいことだけを順に書き出しているので、文章としてのまとまりが悪いですがご了承ください。
ブログを書くための時間が決定的に不足しているのです…!実は結構つらいです。

 

◆こどもの成長過程でトラブルが生じることを「アニメ」のせいにしておきたい?

「アニメ」をはじめとするこども番組の視聴を過剰に制限する親御さんの話を聞くと、
こどもの成長過程でトラブルが生じることを「アニメ」のせいにしておきたいのかな?と感じます。
そうすれば、親の側に非がある場合でも気持ちの面ではうやむやにできてしまいますからね。

よく未成年の起こした犯罪の報道などで、「親の責任」という言葉が聞かれます。
確かに親が責任を負わなければならない側面もあるのですが、未成年者でもひとりの人間。
親だからといってそのすべてを知り、完全にコントロールできるわけはありません。
それでもやはり「親の責任」という追及が止む訳はありません。
無意識的か、それとも有意識的かはわかりませんが、こうした「親の責任」という追及から逃れるために
「〇〇のせい」という別の要因を立てておくことは大変都合がいいことなのかもしれない、と想像します。
精神衛生を保つためにもそうした方がずいぶん都合がいいと思うんですよ。
自分のせいじゃない、なにか別の要因があるはずなんだ!って。

「アニメ」はこうした理由からこどもに悪影響を及ぼすものであると語られているのかもしれません。
言ってしまえば、周りの大人の「責任転嫁」の材料となっているのではないか、ということ。

 

◆なぜ「アニメ」が教育(の失敗)の責任を押し付けられるのか?

アニメに限らず、こどもを主な対象としたコンテンツは「わかりやすい」ことが重要になります。
「わかりやすい」表現のために用いられる誇張表現などはこどもにとって非常に(良くも悪くも)刺激的であったりします。
(こどもの注意がアニメに引きつけられやすいのは、それだけ刺激が強いから)
そのため「アニメ」によって極端な思想を得るに至った、と解釈する人がいるのでは?と考えました。

しかし、アニメでの描写を真に受けてそっくりそのまま体現しようとする人はそんなにいないと思います。
私の世代だと幼少期に「ポケットモンスター」に夢中になった人が多いと思いますが、
この作品の世界観のとおり、10歳を迎えて旅に出ていった人の話を私は聞いたことがありません。

多くの子供は「アニメの世界」と、それを見ている「現実の世界」の区別がついています。
ですから「アニメの世界」のままに生きていくことができないことは理解しています。

こどもが「アニメの世界」と「現実の世界」の区別をつけられない、と考えているおとなもいます。
もしそういうこどもがいたとして、そのようになった原因に「アニメの世界」に長時間放り込みすぎたことがあると思います。

アニメを流しっぱなしにしてこどもの注意を引きつけておき、家事や仕事をこなす。
こうした経験のある親御さんは多いでしょう。これを否定しているわけではありません。
が、常にこうした状況下にこどもをおく、ということがないようにはしなければならないでしょう。

こどもの注意を引きつけるアニメに頼り、自らがこどもと関わる時間はほとんど取らない。
こうした育児をし続けると、将来こどもが「グレる」ことがあるかもしれません。
そのとき、こどもによからぬ影響を与えた要因は「アニメ」にあるのではなく
「親と子のコミュニケーションが致命的に不足していた」ことにあるのではないか?
と考えてみる視点を持つ必要があると思います。

要するに、「こどもがグレた!」みたいなわかりやすい事例で問題が顕在化した場合、
ある要因ひとつだけに責任を押し付けるのでなく、その裏になにか別の要因が隠れていないか?を考える
という視点を持たなければならない
、と思うわけです。

アニメが教育(の失敗)の責任を押し付けられやすいのは、
こどもの注意を引きつけやすいという特性のために利用されることが多いことが背景にある気がしてなりません。

 

とりあえずアニメに対する考え方について、今思うところを書いてみました。
覚書のようなものなので、また後日加筆修正を加えるかもしれませんし、しないかもしれません。