ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

どうして古典を「勉強」するの?意味あるの?⇒あるよ!

読者登録している皆さまのブログを、毎日興味深く拝読いたしております。
今回、ちょっとびっくりな出来事があったので最初にその話題に触れたあとで
タイトルの「どうして『勉強』するの??」というテーマについて考えていきたいと思います。

 

◆読者登録していたブログが「消失」した

読者登録をしていたブログ、「割れ物注意な貧乏学生」がいつの間にかなくなっていました。
最後に更新されていた記事(「ブログを始めて200日になるので、そろそろブログを卒業しようと思う。」)を読み逃したため、状況が把握できない。

「どうしたんだろう??」と心配していたところ、同じく読者登録しているブログ「無要の葉」のぜろすけさまが以下の記事を更新。
おかげで状況を把握することができました。


順を追って簡潔に経緯を説明しますと…

1.「割れ物注意な貧乏学生」のたけるんこりったさまが「よく考えると国語の試験って意味わからない。」という記事を更新。

この記事は私も読んでいました。うろ覚えではありますが、論旨は以下のようなもの。

・国語、特に古典は勉強する意味がわからない。Twitterで「いとをかしwww」とか使わない。実用性がない
・英語は「できたほうが便利な場面がある」と思うので勉強する。
・自分は書きたいように書くし、読みたいように読む。そのための勉強には意味がないと思う。

 2.その記事に対し、多数の批判が寄せられた。

元記事が消されてしまったので確認ができませんので推察にすぎません。
が、おそらくこの記事のブックマークのコメント欄には批判意見が多数寄せられていただろうと思います。
同年代のブロガーということで親しくしていただいていた私でさえ、「いやこれはちょっとまずいぞ…」と焦ったほどですもん…

3.消えた。

…以上です。


「割れ物注意」って何のことだろうと思っていましたが、まさかご本人の精神のことだとは…
いや、精神的に弱いこと自体を揶揄しているわけではないんですよ。
ただ、「自分は書きたいように書くし、読みたいように読む」という主旨の文章を掲載したあとで
「コメントは優しさが欲しいというのはわがままですか」と呟いちゃったことがまずいというだけで…。
うん、流石にそれはちょっとわがままだったよね…

 

◆どうして古典を「勉強」するの?? 私はこう考える

「国語」の教科で日本の古典を学習することに、本当に意味はないのでしょうか?

最初に紹介した記事で、ぜろすけさまはこのように記述しています。

自分が古典を勉強して一番身に着いた能力は「未知の言語に対する姿勢」です。(上記事より引用)

私も同じように考えています。
もっと言えば、「英語」をはじめとする外国語を学習する意図もここにあると思います。
未知の言語に対する感覚を捉えるために必要なスキルを磨く。

たけるんこりったさまは「古典を学んだところで実用性がないので、意味がない」と考えています。
確かに、古典で学ぶ文語文法は現代社会で実用されているものではありません。
しかし、古典を学ぶことで「未知の言語に対する感覚を捉えるスキル」を磨き、別の言語学習に活かすことはできます。

そのスキルのひとつが、学校で徹底的に学ぶ「品詞分解」に相当します。
苦手な方も多いと思いますが!(おそらくたけるんこりったさまがそういう一人だったのだと思います)
これができるようになると、「未知の言語」であっても理解できるようになってきます。
古典を学習することにも意味がある、と考えるのはこういう理由からです。

 

◆どうして「未知の言語」を「勉強」するの?? 母から学んだこと

ではどうして「未知の言語」を「勉強」するのでしょう。

私はかつて、この疑問を母親にぶつけたことがありました。
英語の学習に行き詰まった中学2年生ごろのことだったと思います。
(ちなみに母親は地方の女子大の英文学科を卒業し、英語の教師免許を取得している「英語好き」です)

「お母さん、どうして英語を勉強しなきゃいけないの?私、日本にずっといるつもりなのに」
「英語がわかるとね、英語で考える人の考え方がわかるようになるんだよ」
「そんなの別にわかんなくていいもん」
「映画や小説のキャラクターのバックボーンが理解できる、それだけでずいぶん楽しくなるもんだよ」

これがいちばん納得できる答えでした。
「グローバル社会で実用できるから」そういうありがちな答えよりずっと納得できました。

未知の言語で考えている人の考え方を理解する手助けをするのが、言語を学ぶということにあるのです。
「将来役に立つんだからやりなさい!」とか言われなくてよかったです。
おかげで英語の勉強はそこまで苦痛に感じなくなりました。いい思い出のひとつです。

 

でも、結局のところはぜろすけさまの書いたこの一文に尽きると思います。

「自分が苦手、わからない、面倒くさいから嫌いだし勉強しない(自分に原因があるとわかっている)」じゃなくて「やる意味がわからないから勉強しない(勉強しないのを外的要因にしている)」というのは基本的によろしくない思考であると思います。(上記事より引用)

ぐうの音も出ませんわ…!!