ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

「おとな」になるにはどうしたらいいか考えてみた。

今週のお題「おとな」について。

こちらの記事の続きになります。

 

――「おとな」と「成人」どこが違う?

先の記事で、私の思う「成人」と「おとな」の違いについて書きました。

概要はこうです。

・「成人」も「おとな」も「分別のある(べき)人」として語られる点で共通。

 ・(日本では)20歳になれば原則誰でも「成人」として責任を果たすよう求められる。

・「成人」と「おとな」の違いは年齢によって境界線を引いているか否か。

 

――「おとな」になる方法なんてあるのか?

では年齢をボーダーラインにしていない「おとな」になるにはどうすればいいのか。

考えるための手引きとして、この本を参考にしました。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 私の大好きな小説家の一人、平野啓一郎さんの著書です。

この本で平野さんは「個人」をさらに分ける「分人」という考え方を示しました。

 

結論から書きます。

「おとな」になること とは

「おとな」に対する分人の数を増やすこと である

 

――分人ってなに?

詳しいことは平野さんの本を読んでいただくとしましょう。

「分人」について簡単に言えばこんな感じです。

・「個人」は多数の「分人」によって構成されている。

・「分人」は他者とのスムーズなコミュニケーションのために生まれる。

・他者と関わる際、その関係性や環境に適した「分人」が選択されて表れる。

どういうことか?

関わった人の数が増えれば自分の中に「分人」が増える

つまり→人と関われば関わるほど自分の中に「分人」という多様性が生まれる

   →「分人」の性質は関わる人との関係性や環境に由来する

 

かなり遠回りの説明になってしまいました。

先に書いておいた結論がこれでしたね。

「おとな」になること とは

「おとな」に対する分人の数を増やすこと である

表に出てくる「分人」は関わる人との関係性、環境に由来します。

ですので「おとな」に対するのに相応しい「分人」を獲得するということが

そのまま「おとな」になるということだと考えたのです。

 

――では、何をすればいいのか?

その問いに対する答えがこうです。

「おとな」として尊敬できる人と出会う・積極的に関わること。

それには誰を「おとな」として見るかも重要になってきます。

「おとな」を見る目を養う必要がある、ということですね。

 

で、私が具体的にやっていることはなにかといいますと

・ブログの多読に取り組む。ジャンルに拘らず、基本は話題のものを中心に。

・読んで「いいな」と思った箇所に引用スターをつける。

・特に気に入った箇所や疑問に思った箇所があるとき、はてブを活用する。

・日々、考えたことや獲得したことを「ブログの更新」という形で発信する。

 

基本はこれです。まずは自分の中に「多様性」をつくる取り組みですね。

そしてこうした活動を通じて「おとな」として尊敬できる人との出会いや

関わりを獲得していきたいというように目論んでおります。