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ミチクサダイアリー

飽き性を克服するべく、もう一度だけ挑戦することにしました。ブログ。

少しの間、当ブログは不定期更新となります(スランプのため)

 ↓こんな記事を書いてブログの更新をお休みしたのが8日前。

今日も更新できそうにないのでこの記事のリンクをぺたりと貼って退散します。

簡単に言うとひどいスランプに陥りました。
頭の中で考えていることはたくさんあるのですが、それらをうまく文章に落とし込めない。
書くことに嫌気がさしたわけではないんですけどね…
書こう!っていう気持ちはあるんですけどアウトプットができない状態なんです。

皆さまはブログを書いていて「スランプに陥った~」って経験ありましたか?
毎日書くぞ!ということだけ決めて続けてきたブログなので、更新をしない日があるのが嫌なのですがこんな調子だといくら書いたところでいいものが出てきそうにないので、いっそのこと少しお休みしてみようかな~なんて考えています。

このところask.fmには回答するのが楽しい質問がたくさん寄せられていて嬉しいです。
皆さまからの質問に答えることでいろいろと考えを深めることができるので、よかったらぜひお願いします。

この記事にもask.fmのフォームを貼り付けておきますね。
ask.fmの質問はできるだけ早めに回答するように頑張ります。

というわけなのでブログは少しの間不定期更新になりそうです。
毎日楽しみにしてくださっている読者の皆さまには申し訳ないのですが、少し休んでいい記事を書けるようにしたいと思っています。

『みんなのポケモンスクランブル』をダウンロードしました!少額課金プレイがおすすめ!

ゲーム

任天堂が基本プレイ無料で配信している『みんなのポケモンスクランブル』をダウンロードしました。
3DSの「ニンテンドーeショップ」から無料でダウンロードできます。

これが地味~に面白くてハマってしまいました。
「もう今日はブログ更新サボっちゃおうかな…」と血迷うぐらいに没頭していました。

基本プレイは無料です。一応課金コンテンツもあるのですが、最大で4800円までしか課金できないように設定されています。
とりあえず3時間ほどプレイしてみた感想なのですが、さくさくと先に進みたいなら少額でもいいので課金をおすすめします。
私は700円だけ課金して開始したのですが、今のところものすごくさくさくと進んでいます。
というか序盤のうちは多少課金していないと先に進むまでえらく時間がかかると思います。

このゲームは連続で同じエリアの探索ができないようになっているんですよ。
エリアによってその時間は異なるのですが、「時間回復」を待って再度同じエリアが探索できるようになります。
ガンガン進んでいきたいなら別のエリアを「ポケダイヤ」で購入してガン回し、というプレイスタイルになりますね。
この「ポケダイヤ」というのがいわゆる「魔法石」的なポジションで、課金アイテムになります。
ゲーム内でも入手することはできますが、序盤のうちはゲーム内で回収するのが大変です。
少額課金すると比較的さくさく進められると思います。
700円で今のところ快適なプレイ環境になっています。艦これでは環境を整えるために7000円ぐらいぶっ込んだので、それと考慮すると10分の1のお値段です。安い。

『みんなのポケモンスクランブル』に出てくるポケモンたちは「おもちゃのポケモン」という設定です。
いつもの『ポケットモンスター』シリーズとは異なり、みんな小さくて丸っこい形になっています。
これがもうむちゃくちゃ可愛くてですね!!ポケモンがたくさん集まったら個人的にお気に入りのポケモンのスクショ画像を貼ろうと思います。ほんとに可愛いんですよ。

ポケモンごとに「つよさ」「わざ」が異なる(=個体差がある)ので、探索するエリアや難度によってどんどんポケモンを変えながら攻略していくことになります。
主力キャラが目まぐるしく変わるので、いろんなポケモンに愛着がもてるところもいいな~と思います。
私の最愛ポケモンは「ベトベトン」なのですが、はやくベトベトンがゲットできるエリアまで進みたいです!

 

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コミュニケーションの中から新しいアイディアを生み出そう② ~「〇つの方法」に気をつけろ~

考え方 実践

今回の記事は↓この記事の続きになります。

コミュニケーションの中から新しいアイディアを生み出すにはどうしたらいいか?について考えていきます。

前回は「批判」をするという方法を提案しました。
今回は「〇つの方法」に気をつけろという題を設定しましたが、これがどういうことかを説明していきます。

よくブログのタイトルで「~~のための〇つの方法」といったタイトルを目にします。
この「〇つの方法」に着目することで新しいアイディアを生んでみようではないか!というのが今日の主題です。

そもそも、こういった記事を書く人たちはなぜ「〇つの方法がある」という結論に至ったのでしょう。
勝手な想像に過ぎませんが、それは「〇つの方法」しか思いつかなかったからだと思います。
少なくとも私の場合はそうです。〇つしか思いつかなかったから「〇つの方法」なのです。

別の可能性としては「〇つ以上挙げるのは面倒くさい」という理由も考えられます。
私の大嫌いなマイナビウーマンのコラムのタイトルとその内容を見てみましょう。

戦慄! 女性たちの「お泊まりデートでの失敗談」4選⇒「おばちゃんのようなデカパン」「突然の生理」 | 「マイナビウーマン」

マイナビウーマンの会員にアンケートをとり、その結果を紹介したコラムです。
タイトルにある「失敗談4選」として挙がっているのは「ムダ毛処理ができていなかった」「睡眠中の行動」「勝負下着をつけていなかった」「突然生理がきた」という4つの失敗です。「なぜこの4つが選ばれたのか」という理由は明示されていません。アンケートの集計結果のランキングなのかもしれませんが、だったらだったで書けばいいのに…と思います。

このコラムのために実施したアンケートの有効回答数は211件だったそうです。
ということは、この4つに当てはまらない失敗談も寄せられていただろうと思います。
しかしながらコラムでは4つの失敗だけが取り上げられました。それはなぜでしょう。
4つ以上挙げるのが面倒くさかったからだと思います。

誤解を招きそうなので少し補足説明をしますね。
アンケートにはこの4つに当てはまらない失敗談を寄せた回答者も多かっただろうと思います。
しかしそうした意見がコラムに反映されなかったのは、すべてを取り上げることが不可能であるからです。
記事の字数には制限が指定されていたかもしれません。掲載できないほど個人的な失敗談を書いた人がいたかもしれません。
考えられる理由は様々ですが、その結果として4つ以上の失敗談を取り上げることが難しかったのだと思います。

(余談ですが、私が個人的に「お泊りデート」でやったことのある失敗は「パジャマを持っていくのを忘れた」です。泊まる気あんのかっていう)

さて、こうした理由から量産されているものと推測されるブログ記事やコラムのどこに着目すればいいのか。

その答えは実に簡単です。
「〇つの方法」という字を目にしたら、すぐに「〇+1つめの方法」は何かを考えてみることです。
そしてもしある程度親しい関係の人がそのように書いていたなら、思い切って「『〇+1つめの方法』としてこういうものもあると思います」と提案してみたり、「『〇+1つめの方法』はなんですか?」と質問してみましょう
(まったく知らない相手に対してこのように意見すると、いわゆる「クソリプ」として扱われると思うので親しい人限定にしたほうがいいです)
そういう姿勢で相手の話を聞き、自分の意見を出すことで「〇+1つめの方法」として新しいアイディアが生まれてくると思います。

「〇つの方法」といったタイトルはすっきり記事がまとまっているように見えるのですごく使い勝手が良いのです。
私も実際にこうしたタイトルをつけた記事を書くことがあります。
そうした記事タイトルをつけることを非難しているわけではありません。
ただ「〇つめ」より先を考えることを一時停止している状態であるのだ、という認識があってもいいと私は思います。
すっきりと話をまとめるために「〇つ」だけをわかりやすく取り上げているだけで、実際には取り上げるに至らなかった雑多なものもあったはずです。
その雑多なものにもう一度目を向けて考えるために、「〇+1つめ」は何だっけ?と思考してみることを提案しています。
意外とそういうところからアイディアというものはこぼれ落ちてくるものだからです。

「〇つの方法」と言っている人がいたら「〇+1つめは何だろう?」と尋ね、一緒になって考えてみてはいかがですか?

 

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憧れのキタキュウマンさまにお会いできたのではしゃいでいます

ヒーロー こども キャラクター 日常

昨日は「コミュニケーションの中から新しいアイディアを生み出そう」をテーマに、「批判をする」という方法を提案しました。

その記事の終わりに

「コミュニケーションの中から新しいアイディアを生み出そう」というお話はまた明日に続きます

などと予告をしていたのですが、内容を変更させてください。
ある理由から疲労困憊しておりまして、その回復のためにゆったりと半身浴をする時間を確保したいのですッ…!

実は昨日・今日と、イオンモール宮崎で開催された「九州ヒーロー大集合」というローカルヒーローショーを観に行っていました。
二日間の開催で九州8県のローカルヒーローが大集合するという大変おいしいヒーローショーです。
卒業論文研究の題材としてヒーローショーを取り上げるくらいには大のヒーローショー好きである私は、今回のショーをとても楽しみにしていました。

というのも福岡県の代表としてショーに出演するのが「キタキュウマン」さまだったからです。
キタキュウマンさま(の中の人)は大阪大学を卒業後、いろいろあって「そうだ、ヒーローになろう」と思いついてそれを実行し続けているというとんでもないお方です。体が硬いので敵と戦うことはありませんが、北九州市の特命観光大使として北九州の魅力を発信し続けています。

ショーの後に行われたサイン&握手会で「北九州出身です。応援しています。これからも頑張ってください」と声をかけることができたのでとても嬉しかったです。
パンフレットの裏表紙一面にサインを頂いてしまいましたよ。それがこちらです。

書いてくださっている途中で今日の日付をど忘れしてしまったようで「19日です!」と声をかけたらとても大きな「9」を書いてくれました。北九州の九だー!

 

というわけでとても楽しい時間を過ごしたのですが、ずっと同じ場所で立ち見を続けていたこと、ショーの後のサイン&握手会の列が非常に長蛇だったことによってひどい腰痛を引き起こしました。さらには体に重くのしかかる倦怠感が…。
バイトしていたときは8時間以上立ちっぱなしでも大丈夫だったんですけどね…
長時間じっとしていたのがよくなかったんだと思います。

それでゆったりと半身浴をやる時間が欲しくなったというわけです。

今日の列は本当に長かった…。
サイン&握手会のときは子供を優先するため最後尾あたりを狙って並ぶ「大きいお友達」が多いので、私の前後もだいたいそういう感じの人が多かったです。
中にはキタキュウマンの「追っかけ」で北九州から飛行機で来たよー!っていうお姉さんもいらっしゃいました。すごい経済効果。

ちなみにキタキュウマンさまのツイートに私とにむすけ君が写っていました。

ショーの最後にキタキュウマンさまが自撮り棒を使って撮影した写真にも写っていますよ。
探せるものなら探してみてください。

コミュニケーションの中から新しいアイディアを生み出そう① ~「批判」をする~

実践 考え方

今日は「コミュニケーションの中から新しいアイディアを生み出そう」というテーマで記事を書こうと思います。

皆さまは「新しいアイディアを生み出そう」とするとき、どうしますか?
ひとりで思案に耽りますか?それとも誰かに相談してみますか?
人によっていろいろな方法があると思います。

前回の記事で、私は「人とのコミュニケーションの効果」を信じているらしい、と気付きました。
今回の記事では人とのコミュニケーションによって新しいアイディアを生み出すにはどうしたらいいかを検討することにします。

 

「批判」をする

この記事で「批判」について軽く触れました。この部分です。

「批判」という言葉を「否定」や「非難」と混同されている方を見かけることがありますが、そうではありません。
「批判」の基本は「物事に検討を加えて、判定・評価をすること」です。
相手の話を「批判」する中で自分で思考する力が育っていきます。

よく誤解されていますが「否定」や「非難」をすることが「批判」をするということではありません。
「批判」の「批」の字には「比べる」という字があります。比べることで物事に検討を加えて評価をすることが「批判」です。
ですからコミュニケーションの中で相手を「批判」するというのは、相手に非難の言葉を浴びせることではありません。

ここでの私の提案は、相手の話をよく聞いて、その内容に検討を加えて評価をしてみるのはどうでしょう?というものです。
具体的にどう会話を展開するかという例を出すのは少し難しいのですが、たとえばこんな感じでしょうか。

<例>
(相手の発話を受けて)「あなたの言った――というところに共感を持った。私が話を聞いていて思ったのは、その他にも~~ということがあるんじゃないかなっていうこと」

う~ん、なんだか余計にわかりづらくなった気がします。
いい会話の例って考えるのが難しいですね…。

相手の話に対する自分の見解をやんわりと示しつつ、新規の提案も盛り込むというイメージです。
こうした会話を続けることで、次第にどちらも持っていなかった新しいアイディアがぽんっと飛び出すことがあるのです。

この「はてな」では誰かの記事にリンクを貼って意見をする=「言及する」という行為が頻繁に行われています。
すべての言及に対して反応することはなかなかできませんが、それでも対応できる限りこちらも「言及する」という形でのお返事をさせていただいています。

私がそうした行動をするもっとも大きな理由は感謝の気持ちを伝えるためなのですが、他にも理由はあります。
それはここまでに書いたとおり、「新しいアイディアを生み出すため」です。
こちらの話を受けて意見してくださった方との対話をはかることによって、一人ではできない「発見」をすることができるのです。

せっかく「はてな」でブログを書いていることですし、できるならより多くの方とこうした形でコミュニケーションをとれたらいいなあと考えています。
素敵なブログを書いておられる皆さまに言及していただけるような魅力ある記事が執筆できるよう精進していきますので、何か皆さまの心に引っかかる内容のものがあれば言及していただけるととても嬉しいです。

 

もう少し書きたいことがあったのですが、これを書くと少し記事が長くなりそうだったので二分することにしました。
「コミュニケーションの中から新しいアイディアを生み出そう」というお話はまた明日に続きます。

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言及していただきました!新たな「発見」で自分の考えが深まったという話

考え方 雑記 教育

私が昨晩更新した記事について言及をしていただきました。
その記事を紹介させていただこうと思います。

まさりん(id:masarin-m)さまがこちらの記事で、私の書いた記事と元記事における考えの相違について丁寧にまとめてくださいました。もう私の記事を読むよりこちらを読んだほうがためになるな、という感じです。降参です。

私にとって新しい発見があった部分をいくつか紹介させていただきます。たとえばここ。

あとプチ情報だが、卒論など「先行研究」を並べるだけにしろ、と指示する教授が昔はいたよ。お前らが頭を使ったって、新しい成果に結びつくわけがないだろう。それなら先行研究をきちんと「研究」して、研究のコツを掴め、というのも実は一理あるらしい。(上記事より引用)

ぐえええ。
私だったらこの仕打ちには耐えられないです…。(私のメンタルが弱すぎるせいですかね?)
「論文とはとても呼べない代物を論文として提出させられる」ことが耐え難いです。
負けず嫌いな自分の性分が多分に関係していると思うんですけど「やれないんだからやるなよ」って言われたくないんです。
教授の立場からすれば学生なんてみんな糞に見えるのかもしれません。私はそういう立場には立っていないので自分がどう見られているかなんて想像もつきません。
でもやるより前から「やるだけ無駄」というようなことを言われたくないんです。
とにかく挑戦はさせてほしい。その成果(らしきもの)を確認した上で「はい、クソ野郎」って言ってくれよ、と。
こういう考えを持つこと自体が愚かなのかな…。

 

それからここ。

ただ、普通の四大生がやったって、「先行研究」を批判などできないと思っててよい。「なんか良い」とか「なんか嫌」とか生理的な反応以上のことはできないだろう。批判というのは資質と資格が必要なのだ。資質を得ることは努力してもムダ。資格を得るには・・・・・・。だから研究者は勉強しろ、と言っているのだと思う。

昔から疑問に思っていることがあります。
それは、学びに関する「資質(生まれつきの性質・才能)」は存在するのか?ということ。
私自身は学ぶことに関して「私才能あるわー」と思ったことも「私才能ないわー」と思ったこともありませんでした。
そのため「資質で決まっているわけがない」と考えてきました。
「学ぶ」ことで批判をするためのスキルを会得していくのだ、と。
しかしこの文章を書きながら、もしかすると生まれつきの「資質」とやらがあまりに平凡なものであるから「才能あるわ」とも「才能ないわ」とも認識できていなかったという可能性があることに気付きました。それはそれで嫌だ。
そういうことであるなら、私が「批判をするためのスキルを(少し)ゲットしたぞー」と思っていた時に握り締めていたのは実は資格だった、という話になるんですよね。どうなんだろう。
資質で決まる部分もそれなりにあるものなんだろうか。

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ただ、いちばん大きな発見はそれよりもっと前の部分に書かれていたことでした。これです。

この二つの記事には前提条件の違いがあるように思う。ゆっこさんは人とのコミュニケーションの効果を信じていて、元の研究者は他人とのコミュニケーションの効果を信じていないのだろうという風に思った。

対人恐怖症のきらいがある私だけれど、どうもコミュニケーションの効果ありきでものを考えていたようです。
こうした指摘ははじめて受けたので驚いています。しかし、指摘されてみたところでもう一度文章を読み直すと確かにそういう考え方に基づいて書いたもののように思われました。
ということなので次回は「コミュニケーションの中からアイディアを生み出そう」という方向で記事を書こうと思います!

今回記事について言及していただいたことで、自分の考えをより深めることができました。
まさりんさま、ありがとうございました!!

 

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「自分の頭で考える」VS「自分の頭で考えるな」バカなのはどっち!?

教育 考え方

「自分の頭で考えるなんてやめたほうがいい」という研究者の話。 | Books&Apps

↑この記事を読みました。
「著名な研究者の彼」という人物が「自分の頭で考えるなんてバカのやること」と言ったという話です。

記事を読んで思ったことをそのままブックマークコメントに記しておきました。

「自分の頭で考えるなんてやめたほうがいい」という研究者の話。 | Books&Apps

これを「ふむふむ」と鵜呑みにするのがバカである。

2015/04/16 17:37

私がこう考える理由を、この記事を引用しながら説明していきますね。

紹介した記事から読み取れる「著名な研究者の彼」という人物の考えを先にまとめて示します。

  • 先行研究が山ほど存在するにも関わらず自説にこだわるのは「バカ」だ。
  • 「自分がバカであることを認識しよう」と指導するべきだ。

ちなみに、この記事はこの話を受けて「2400年前の哲学者も同じことを言っていた。おそらく真理なのだろう」と結んでいます。
ここでいう「2400年前の哲学者」はおそらくソクラテスだと思います。「無知の知」ね。

同じことを繰り返し書きますが、これを「ふむふむ」と鵜呑みにしてしまうのが「バカ」であるというのが私の考えです。
「著名な研究者の彼」や「2400年前の哲学者」が言っているので「おそらく真理なのだろう」と考えてしまうなんて愚かにもほどがあるというものです。

私は「相手の話をよく聞いて批判する」よう指導することが大切だと考えています。
「批判」という言葉を「否定」や「非難」と混同されている方を見かけることがありますが、そうではありません。
「批判」の基本は「物事に検討を加えて、判定・評価をすること」です。
相手の話を「批判」する中で自分で思考する力が育っていきます。
「相手の話をよく聞いて批判する」ように指導すべきだと考えているのはそのためです。
そしてここでいう「相手」とは人物を問いません。
「著名な研究者の彼」の考えであっても「2400年前の哲学者」の考えであっても批判の対象です。当然のことです。

紹介した記事は、以下のような書き出しで始まります。

「自分の頭で考えなさい、ってよく言うじゃない,、あれ、嫌いなんですよ。」著名な研究者の彼はそう言った。
「普通と逆ですね。普通は、自分の頭で考えろ、って言いますよね。」
「そうですね、若い研究者や学生にありがちなんですが、よく調べもしないで、「私はこう思った」って言うんですよね。」
「なるほど」
「そんなこと、とうの昔に他の人が考えていて、「もうそんな研究は山ほどあるよ」っていっても、自説にこだわるんです。もう、そういう奴は「バカ」って呼んでいいと思いますね。」(上記事から引用)

確かに、「よく調べもしないで」意見することについては私も「むむむ」と感じることはあります。
ただ、この文脈だと「先行研究」に絶対的の価値を見出しているようにも読めます。
「先行研究」をよく学び、参照することは研究における基本的な態度とされています。
私もそのように考えますし、自分ではこれを実践してきたつもりです。
しかしながら「先行研究」だからといって「偉い」わけではありません。より価値があるという意味も決してありません
たくさん引用されるような「先行研究」であっても、後の研究で覆ることはざらにあります。

「とうの昔に他の人が考えて」いたことを知らずに同じ考えに至る。
このことを「著名な研究者の彼」は「『バカ』って呼んでいい」と考えています。
しかし、こうも考えることができるとは思いませんか?
「とうの昔に他の人が考えて」いたのと同じ考えに自力で至った人がいた。つまり「とうの昔」から変化していないものがあると考えられるのだ、とか。
先行研究そのものを「自説です」と言い張っている人であればバカとか言われてもしょうがないかなーという気はしますが。
自力でその考えに至るということそれ自体を否定すると、何も生まれなくなると思います。

もっと極端な例を出すなら、「ボールから手を離すとボールは落ちる」ことに気がついてはしゃいぎまくっている赤ちゃんに対して「それはニュートンがすでに発見していることだからそんなにはしゃぐことじゃないよ」って言うか?っていう話ですよね。しませんよね。この例はちょっと極端すぎますけど。

「とうの昔に他の人が考えて」いたことに自力で到達することにも十分意義はあると思います。
もしそれを「自分で考えたから自説だもん!」って声高に主張しているアホの子がいれば、そのときに「実は君と同じことに思い至った〇〇という学者がいた。詳しくはその著書で」とかなんとか指導すればいいだけの話ではないかな、と。

自分で考えようとする気持ちがあるだけマシです。本当に。

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少し怖い話をしましょう。
「自分で考える」ことができない人の卒業論文計画書が怖かった、という話です。

現在4年生で卒業論文研究に取り掛かっていますが、ゼミ内は「自分で考える」ことができない人が何人かいます。
そういう人たちはそもそも卒業論文を「先行研究を切り貼りする」という程度のものにしか認識していなかったので、自分で研究をした上で「考察」をしなければならないという発想が存在していませんでした。
なので計画書の第一敲には考察をまとめる章が存在しない代わりに「先行研究のまとめ」という意味不明の章が存在していました。
教授がか細い声で「研究になってない…よね…」と苦しそうな声をあげていたのが印象に残っています。

「では、どうすべきなのでしょう」と、私は聞いた。「学生にどういう指導をすべきなのですか?」
「自分の頭で考えよう、ではなく、自分がバカであることを認識しよう、のほうが、はるかにいいね。本を読み、調べ物をし、人の考えを知る。それは、「自分が何を知らないか」を知るためです。こんなこと、研究者だったら知ってて当たり前ですよ。」(上記事から引用)

自分の頭で考えることができない人は、本を読み、調べ物をすることで人の考えを「鵜呑みにしてしまう」ので自分が何を知らないかを知ることができない。実態はこうです。
つまり「自分がバカであることを認識」させることは不可能だといっても過言ではないと思います。

だから私は「鵜呑みにしてしまうのがバカ」だと考えているわけです。
そして大切なのは「相手の話を聞いて批判する」ということ。

ただ、「批判」って難しいんですよね。
私の実践している方法を、また別の機会に紹介したいと思っています。

 

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